ただ、そのときに知るのは、その国のことだけではない。むしろ日本のことが理解できるようになることが少なくない。
私たちが海外に行く理由があるとすれば、もしかしたら「日本のことを知るため」ではないだろうか。ちょうど英語を勉強して日本語のことがわかってくるのに似ている。
ヨーロッパに行っていつも感じるのが、ヨーロッパが階級社会であることだ。
もちろん、かつての貴族制がいまだに残っているというわけではない。ただ、その人がどのくらいの地位にあるかが外見や行動からなんとなくわかるというのは、日本との大きな違いである。
日本は外見からその人の地位はわからない。フリーターがアルマーニを着ていても、首相が1000円床屋に通っても、とくに支障はない。
ヨーロッパはそうではない。年収が高ければ、それに見合ったライフスタイルを送らなければならない。地位と年収が高ければ、それにふさわしい時計をつけ、カバンを持っていなければ侮られることになる。そういったところに、私はかつての階級社会の残滓を見る。
日本は逆だ。首相が1000円床屋に通っていることがむしろ美談になる。「偉くなっても、庶民の心を忘れないすばらしい人」と評価されることになる。
これは文化の違いであり、とくだん意見を述べるようなことではない。そういった文化を形作るまでにはお互いの長い歴史がある。「そちらの文化がおかしい」などというのは、近視眼的な意見だ。
ただ、こと経済において、日本の傾向はマイナスに働く。
日本において、年配者層と若者層とで富が偏在していることはもう説明する必要はないだろう。日本では、高度成長した人たちは年齢が上がるごとに多くの年収を得てきた。ところが低成長になって、若者は就職難と低年収にあえいでいる、と説明される。
この説明は正しいが、1つだけ見落としがある。それは「なぜ低成長になったか」の説明が抜けているからである。
それを「お年寄りが老後に不安だから」「グローバリゼーション」の2つで説明する人はいる。しかし、前者はいつの時代も同じで、今始まったことではない。後者は不況になった国とならなかった国があるから、普遍的な理由とは言えない。
だから、日本独自の理由というものが必要である。以下、私の考えを述べたい。
日本は戦後から製品輸出を中心に伸びてきた。しかし、1970年代終わりが頃からアメリカが日本からの輸入で国内産業が低調になり、「ジャパンバッシング」が起こってからは、それ以上の輸出を伸ばせなくなった。
そこで、次に日本が目指したのが内需拡大である。つまり、国民にもっと消費をしてもらうことだ。そのために大幅な金融緩和をした。それがきっかけになって起こったのが、1980年代のバブル経済である。
しかし、それは1990年の株価暴落をきっかけに完全にはじけてしまう。日本は不況に入り、いまだに立ち直っていない。
なぜこのようなことになったのか?
それは、日本の消費拡大が若者層に偏っていたからである。
実はバブル期も、すでに不動産を所有していた年配者層はさほど消費に走らなかった。年配者層にも借金して不動産を買い増し財産を膨らませた者もいたが、全体から見ればほんの一部である。
消費に走ったのは不動産を持っていなかった若者層である。不動産が急騰して「どうせ家が買えないなら、今を楽しもう」とばかりに消費した。
しかし、若者層の消費は財産に裏付けされたものでないので、不況になり年収が減れば、消費も激減する。
年配者層はたしかに不動産の評価額が減ったが、単に数字上のことである。株式などを運用したり不動産投資をした者はわずかである。
では、日本の年配者層がなぜ財産を蓄えることができたかというと、基本的には「年収は上がったのに、さほど使わなかったから」とまとめることができる。これには日本文化が関わる。
日本では、年収が上がろうとも質素な暮らしをしている人ほど賞賛される。年収が上がったからとメルツェデスの車やローレックスの時計を買えば「成金」とさげすまれる。むしろ、安い国産車でセイコーの普通の時計をしたほうが好まれるのである。
実は日本を長い不況にしてきたのは、「年収が上がっても、さほど消費は増やさない」といった態度をよしとする風土だ。年配者がお金を使わなければ、そのお金は若者には回ってこない。
日本経済を劇的によくしたかったら、「お金を使う文化」をもっと広めることである。財産を持っている年配者がファーストクラスで海外旅行に行き、週に1回レストランに行き、社交にもっと出費するようになれば、日本経済はもっとよくなるはずだ。
もしそうならなければ、景気は戻らず、税収は増えず、結局あとで大増税するしかなくなる。
国に取られるくらいなら、使ったほうがましかもしれませんよ。
