メッセージカード事件
以来
夫とは口をきいていない。
基本的には、毎晩、帰るコールがあるのだが
この2日、とりあえず、無い。
帰宅してから
「ゴハンは?」
と聞くと
首を横に振るだけである。
人がせっかく作ったゴハンを平気で食べないだなんて
なんて教育したんだ! と姑を恨んでみたり。
夫の両親は、一応健在である。
しかし、夫が高校生の時に離婚した。
原因は、浮気とかでは無く
夫の父親の脱サラの失敗。
生活に困った上、離婚したらしい。
子どもは、母が引き取った。
当時、夫は、その地区で有名な公立進学高校に通っていた。
そこで生徒会長とかやっちゃったりする
秀才であったらしい。
そこへ来て、両親の離婚。
夫には、1つ下の妹と5つ下の弟がいる。
高校生だった夫は、自分が一家の主になったコトを
この時期、強く認識する。
特に5つ年下の弟に対しては
まるで父親面だ。
弟の高校の選択、学生時代の過ごし方、大学進学
全て、“お兄ちゃん” の教育方針にのっとって
彼の進路が決められていく。
弟も反発はしていたものの
私と同様
((お兄ちゃんの言ってるコトは、ごもっとも))
なのだ。
だから、初めは反発していても
最終的には、夫の巧みな誘導話術により、“更正” していく。
私に対する数々の「叱り」行為は
この時期の夫の過ごし方によるものであるとにらんでいる。
自分が「主」であると強く認識するあまり
夫は、人間として、強くなりすぎてしまった。
間違っていることは間違っていると
言い切り、行動する。
どんなに些細な悪戯も犯罪も
バレなきゃいい
なんて汚い心がけは、全くもってポリシー外なのである。
妹も弟も、何か事件があると
“お兄ちゃん” に相談する。
“お兄ちゃん” は、何でも解決してくれるのだ。
母親なんかより、よっぽど頼りになる。
誠実で、賢く、非常に信頼できる人間なのだ。
ゆえに、夫が渡米するときは大変であった。
「お兄ちゃんがいなくなったら、
何かあったときは、どーすればいいの?」
夫の母親の実家までが、夫の実家一家の行く末を案じていた。
出発当日は大変だった。
もう、涙、涙のオンパレード。
搭乗前に、皆でコーヒーでも飲んでいたら
母親が
「これ・・・」
と、涙ながらに机の下から何やら封筒を渡している。
餞別の品らしい。
私と妹は、その光景をちゃっかり見ていた。
夫が行ってしまった後
私 「すごかったね」
妹 「うん、すごかった。 何か渡しとったね」
私 「うん、別に、隠して渡すこと無いのにね」
妹 「戦争行くのと違うしね。」
私 「だよねぇ。 北海道行くのも、そー変わらんじゃんね」
などと、冷めた会話をしていたものだ。
時に、私は、夫が渡米して私が追いかけるまでの
3、4ヶ月間、いかに遊ぶか、というコトだけを
考えていたので、この日は妙にウキウキしていた ことを
よく覚えている。
ちなみに、私が渡米後、部屋を片付けていたら
例の封筒が出てきた。
中身を見ると
夫が産まれた時の写真 と その写真につけた当時のコメント
『産まれてきてありがとう。
あなたの名前はパパが付けました。
ステキな名前です。』
みたいなことが書いてあった。
ある日、夫が妹の家に電話したとき
そこに偶然、母親が遊びに来てて、電話を取った。
電話の翌日
メールで
昨日は、偶然、電話で声を聞けて嬉しかった!
と、いけしゃーしゃーと書いてある。
激愛、フォー ってな具合である。
たかが、転勤で、ここまで愛情表現されちゃあ
嫁からしたら興ざめである。
また、母親も妹も夫の誕生日には
必ず当日に届くようプレゼントを贈ってくる。
おかげで、私は、
「母親はプレゼント、ちゃんと贈ってくるのに、
オマエは何の用意もしてない」
とか怒られる始末だ。
あんたら、自分らのお兄ちゃんの愛情表現を、思いっきし
するわいいけど
嫁の立場もわかって欲しいね。
と、いつかは、言ってやりたい野望を持つ。
ま、母親も妹弟も、私が
こんなふざけた性格してるだなんて
露ほど思っていもいないみたいだから
私がこんなコト言い出したら、腰抜かすだろうな。
夫は、自分の家族がしてくれるよーに
私からも愛情を求める。
また、自分の家族に対するよーに
私に接する。
夫は、ソレが私への愛情だという。
でも、それって違くない?
だって、私、あんたと、血ぃ 繋がってないんだもん。
他人だもん。
他人は、他人らしく、愛してくれなきゃ
嫌いにもなるよ。
もう叱られたくないよ。
私のちょっとしたこと、誉めてほしいよ。
すごく簡単なコトなのに
何で、悪いとこばっか見つけて責めるの?
言っても、言っても、わかってくれない。
「オマエはオレの奥さんだから
オレはオマエの欠点を正す義務がある」
だって。
夫とは口をきいていない。
基本的には、毎晩、帰るコールがあるのだが
この2日、とりあえず、無い。
帰宅してから
「ゴハンは?」
と聞くと
首を横に振るだけである。
人がせっかく作ったゴハンを平気で食べないだなんて
なんて教育したんだ! と姑を恨んでみたり。
夫の両親は、一応健在である。
しかし、夫が高校生の時に離婚した。
原因は、浮気とかでは無く
夫の父親の脱サラの失敗。
生活に困った上、離婚したらしい。
子どもは、母が引き取った。
当時、夫は、その地区で有名な公立進学高校に通っていた。
そこで生徒会長とかやっちゃったりする
秀才であったらしい。
そこへ来て、両親の離婚。
夫には、1つ下の妹と5つ下の弟がいる。
高校生だった夫は、自分が一家の主になったコトを
この時期、強く認識する。
特に5つ年下の弟に対しては
まるで父親面だ。
弟の高校の選択、学生時代の過ごし方、大学進学
全て、“お兄ちゃん” の教育方針にのっとって
彼の進路が決められていく。
弟も反発はしていたものの
私と同様
((お兄ちゃんの言ってるコトは、ごもっとも))
なのだ。
だから、初めは反発していても
最終的には、夫の巧みな誘導話術により、“更正” していく。
私に対する数々の「叱り」行為は
この時期の夫の過ごし方によるものであるとにらんでいる。
自分が「主」であると強く認識するあまり
夫は、人間として、強くなりすぎてしまった。
間違っていることは間違っていると
言い切り、行動する。
どんなに些細な悪戯も犯罪も
バレなきゃいい
なんて汚い心がけは、全くもってポリシー外なのである。
妹も弟も、何か事件があると
“お兄ちゃん” に相談する。
“お兄ちゃん” は、何でも解決してくれるのだ。
母親なんかより、よっぽど頼りになる。
誠実で、賢く、非常に信頼できる人間なのだ。
ゆえに、夫が渡米するときは大変であった。
「お兄ちゃんがいなくなったら、
何かあったときは、どーすればいいの?」
夫の母親の実家までが、夫の実家一家の行く末を案じていた。
出発当日は大変だった。
もう、涙、涙のオンパレード。
搭乗前に、皆でコーヒーでも飲んでいたら
母親が
「これ・・・」
と、涙ながらに机の下から何やら封筒を渡している。
餞別の品らしい。
私と妹は、その光景をちゃっかり見ていた。
夫が行ってしまった後
私 「すごかったね」
妹 「うん、すごかった。 何か渡しとったね」
私 「うん、別に、隠して渡すこと無いのにね」
妹 「戦争行くのと違うしね。」
私 「だよねぇ。 北海道行くのも、そー変わらんじゃんね」
などと、冷めた会話をしていたものだ。
時に、私は、夫が渡米して私が追いかけるまでの
3、4ヶ月間、いかに遊ぶか、というコトだけを
考えていたので、この日は妙にウキウキしていた ことを
よく覚えている。
ちなみに、私が渡米後、部屋を片付けていたら
例の封筒が出てきた。
中身を見ると
夫が産まれた時の写真 と その写真につけた当時のコメント
『産まれてきてありがとう。
あなたの名前はパパが付けました。
ステキな名前です。』
みたいなことが書いてあった。
ある日、夫が妹の家に電話したとき
そこに偶然、母親が遊びに来てて、電話を取った。
電話の翌日
メールで
昨日は、偶然、電話で声を聞けて嬉しかった!
と、いけしゃーしゃーと書いてある。
激愛、フォー ってな具合である。
たかが、転勤で、ここまで愛情表現されちゃあ
嫁からしたら興ざめである。
また、母親も妹も夫の誕生日には
必ず当日に届くようプレゼントを贈ってくる。
おかげで、私は、
「母親はプレゼント、ちゃんと贈ってくるのに、
オマエは何の用意もしてない」
とか怒られる始末だ。
あんたら、自分らのお兄ちゃんの愛情表現を、思いっきし
するわいいけど
嫁の立場もわかって欲しいね。
と、いつかは、言ってやりたい野望を持つ。
ま、母親も妹弟も、私が
こんなふざけた性格してるだなんて
露ほど思っていもいないみたいだから
私がこんなコト言い出したら、腰抜かすだろうな。
夫は、自分の家族がしてくれるよーに
私からも愛情を求める。
また、自分の家族に対するよーに
私に接する。
夫は、ソレが私への愛情だという。
でも、それって違くない?
だって、私、あんたと、血ぃ 繋がってないんだもん。
他人だもん。
他人は、他人らしく、愛してくれなきゃ
嫌いにもなるよ。
もう叱られたくないよ。
私のちょっとしたこと、誉めてほしいよ。
すごく簡単なコトなのに
何で、悪いとこばっか見つけて責めるの?
言っても、言っても、わかってくれない。
「オマエはオレの奥さんだから
オレはオマエの欠点を正す義務がある」
だって。