ご訪問くださいまして、
有り難うございます。
れっつごうです(^^)
年末年始になり、
「本をたくさん読もう!」
と意気込んでいますが、
積ん読が日々溜まっていき、
読み返したい本もありますし、
心理学の勉強もしたいし、
少しは掃除もしなければ・・・
と、苦楽(くるたの)しさを、
味わっている今日この頃です(^^;
内田樹さんの、
というエッセイ集を、
読み返しながら紹介しています。
う~ん、
内田樹さんは、
ほんとに本質を突く方だと感じます・・・
今回ご紹介するのは、
「愛神愛隣」
というタイトルのエッセイです(^^)
前半部分を要約しますね。
「隣人をあなた自身のように愛しなさい」
という聖書の言葉があります。
これによると、
隣人を愛するには、
まずは、自分自身を愛していることが
前提となりますが、
現代は、
そもそも、
自分自身を愛せている人が
少ないといえます。
自己嫌悪という感情は、
私たちには、なじみ深いですし、
毎年、多くの自殺者が出ているのも、
事実です。
世の中には
自分自身をうまく
愛することのできない
無数の人々が
現に存在する。
彼らに向かって
「あなた自身を愛するように
隣人を愛しなさい」
と告げても、
「自分自身を愛することが
どういうことだか
わからないのに、
隣人なんか愛せるはずが
ないじゃないか」
という反論が
当然返ってくるはずである。
そりゃそうですよね。
私たちの時代において、
「隣人愛」というのが
ほとんど死語に
なってしまったのは、
私たちが
自分自身のことを
愛するのに夢中で、
隣人のことを
意に介さなくなったから
ではない。
自分自身を愛するというのが
どういうことだか
わからなくなってしまったので、
隣人を愛する仕方も
おのずから
わからなくなって
しまったのである。
なるほど~、
鋭い指摘ですね。
一般論としては、
豊かな世の中になった影響で、
個人主義で、わががまな人が増えた、
すなわち、
自分のことだけを愛する人が増えた
という風潮がありますが、
そうではない。
実は、
自分自身を愛している人は、
少ないというのです。
なぜか?
その理由はおそらく、
「ほんとうの自分」
という幻想的な
「中枢」を想定して、
それに他のすべてが
従属している状態として、
自我をイメージ
しているからである。
どういうことでしょうか。
「ほんとうの自分」
とか
「自分らしいピュアな自分」
とか
「世界でひとりだけの
真に私らしい私」
というようなものが
どこか自分の内部の
洞窟の奥に
秘蔵されていると
思いなしている人間が
(たくさん)いる。
彼らは、
そのせいで
雑多な人格要素が
星雲状態で
ぐちゃぐちゃと混在している
現実の自分を
そのまま愛することが
うまくできなくなっている。
なるほど・・・
ピュアな自分であるべきなのに、
人間である以上は、
エゴやネガティブなところも
当然、ある。
弱さ、醜さ、邪悪さを、
抱えて生きている。
だけど、
そんな、ピュアでない自分では、
愛せない、受け入れられない、
ということなんですね・・・
「ピュアでない自分は愛せない」
ここに、
現代の大きな病理が
潜んでいるのかもしれません。
では、どうすればいいのか?
次回に続きますね(^^;
最後までお読みくださいまして、
有り難うございました。