ご訪問くださいまして、

有り難うございます。

 

れっつごうです(^^)

 

前回から、

内田樹さんの、

ひとりでは生きられないのも芸のうち (文春文庫)

というエッセイ集を紹介しています。

 

その中の、

「あなたなしでは生きてゆけない」

というタイトルのエッセイから、

「自立」と「依存」

をテーマに解説しています。

 

前回は、

 

自分のことを、

あえて、自分でやらずに、

他人に対してやる。

 

そして、

自分のことを、

他人にやってもらう。

自分が

しなければいけないことを

誰かがしてくれれば、

そうやって浮いたリソースで

他人の

しなければいけないことを

私が代わりに

やってあげることができる

そんな、

まわりくどいことをするのは、

なぜか?

 

というところまでを紹介しました。

 

続きです(^^;

 

ひとりでできることを

どうして二人がかりで

やらなければならないのか、

理解できない人が

いるかもしれない。

 

その人は

たぶん「交換」というものが

どのように構造化

されているのか、

その人類学的な

根本事実を

理解しそこねている。

う~ん、

ちょっと難しい・・・

「交換」の根源的なかたちは

「キャッチボール」

という遊びのうちに

生き残っている。

「キャッチボール」

 

ここに

「交換」の本質があるといいます。

 

どういうことか。

キャッチボールは

ひとりではできない。

 

私が投げる球を受け取った

相手のグローブの発する

「ばしっ」

という小気味良い音と、

相手が投げる球を

補給したときの

手のひらの満足げな

痺れのうちに、

私たちは

自分がそのつど

相手の存在を要請し、

同時に相手によって

存在することを

要請されていることを知る。

女性の皆さんは、

あまり、ぴーんとこない方も

いらっしゃるかもしれませんが、

キャッチボールって、

お互いに、

「ばしっ」と、

すごく

「手ごたえ」

を感じるんです(^^)

 

それが、お互いの

「存在」を感じることになる。

 

他の例で、

「ひとりではできない」

といえば、

「会話」も、

そうかもしれません。

(「アレクサ」は例外ですけど(^^;)

 

よく、会話は、

キャッチボールといいますもんね。

 

(ちなみに、

コミュニケーションの第一人者、

野口敏さんは、

会話は言葉のキャッチボールではない、

会話は「気持ち」のキャッチボール。

という名言を残されています。)

 

あなたなしでは

私はこのゲームを続けることが

できない。

 

キャッチボールをしている

二人は

際限なくそのような

メッセージを

やりとりしているのである。

 

このとき、

ボールとともに

行き来しているのは、

 

「I cannot live without you」

という言葉なのである。

 

これが根源的な意味での

「贈与」である。

 

なるほど・・・

 

「あなたなしでは生きてゆけない」

 

というメッセージを、

お互いに「贈与」し合う。

 

それが、

「私はここにいてもよいのだ。

なぜなら、

私の存在を必要としている人が

現に目の前にいるからである」

という考え方につながるといいます。

 

たしかに、

自分を必要としてくれる人がいれば、

自己肯定感が高まります。

 

ひとりでできることを

二人がかりでやる。

 

それによって

「あなたなしでは

私はこのことを完遂できない」

というメッセージを

相互に贈り合うこと。

 

それが

もっとも純粋な

交換のかたちである。

 

I cannot live without you

 

これは

私たちが発することのできる

もっとも純度の高い

愛の言葉である。

たしかに、

「あなたなしでは生きてゆけない」

なんて言われたら、

とっても、嬉しいですよね(^^)

(一度でいいから、言われてみたい・・・)

 

内田樹さんは、

「その人がいなくては

生きてゆけない人間」

の数の多さこそが

成熟の指標、

いいかえると、

生存確率を

向上させるといいます。

 

「誰にも頼らずに、

一人で生きてゆける」

能力の開発ではなく、です。

 

なぜか?

 

「あなたがいなければ

生きてゆけない」

 

という言葉は

「私」の無能や

欠乏についての

事実認知的言明

ではない。

 

そうではなくて、

「だからこそ、

あなたにはこれからもずっと

元気で生きていてほしい」

という、

「あなた」の

健康と幸福を願う

予祝の言葉なのである。

なるほど・・・

 

自分の至らなさのアピールではなくて、

あくまで、相手の健康と幸福を願う

「前祝い」なんですね。

 

自分のまわりに

その健康と幸福を

願わずにはいられない

多くの人を有している人には、

そうでない人よりも

健康と幸福に恵まれる

可能性が高い。

 

それは、

(キャッチボールの

例から知れるように)

祝福とは

本質的に相互的な

ものだからである。

「人の健康と幸福を願う」

という贈与は、

相互的なもの、

すなわち、

キャッチボールのように、

自分に返ってくるということですね・・・

 

たしかに、

多くの人が、

自分の「健康と幸福」を願ってくれたら、

幸せですよね(^^)

 

 

このブログを書いていて、

妻をはじめ、

身近な人を大切にしなければ・・・

という気持ちになってきました(^^;

 

我ながら、現金な奴です(笑)

 

この気持ち、いつまで続くやら・・・

 

次回に続きます(^^;

最後までお読みくださいまして、

有り難うございました(^^)