おはようございます。
三都の旅、昨日の続きです。
2日目は京都に行きました。
今熊野観音寺。西国三十三所 第十五番札所です。
泉涌寺の塔頭のひとつです。
「枕草子」を書いたことで知られている清少納言の
生まれ育った家がこのお寺の敷地内にあったといわれています。
今熊野観音寺から少し歩いたところに泉涌寺(せんにゅうじ)があります。
泉涌寺は、真言宗泉涌寺派の総本山です。
重要文化財である立派な山門から本堂を眺めると
本堂に向かって下がっていく参道がちょっと異様な感じをうけます。
それは、山門より低い所に本堂が建っているからです。
谷底にあるようなここは、皇室の菩提寺であり
地元ではみ寺と呼ばれています。
森閑とした境内は、綺麗に掃き清められて
落ち葉ひとつ落ちていませんでした。
観光客も殆どいない静かな場所でした。
ここには清少納言の句碑がひっそりとありました。
清少納言が泉涌寺の近くに隠棲していたことから
歌碑が建てられています。
泉涌寺については私の稚拙な説明よりも こちらを★
一条天皇の皇后であった定子が崩御されると
皇后を葬る鳥戸野陵(とりべのりょう)が
今熊野観音寺の近くに造営されました。
皇后定子に仕えていた清少納言は
自分の生まれ育った鳥戸野陵の近くに住んで
定子の御陵に詣でながら晩年を過ごしたと
伝えられています。
藤原定子は、14歳で一条天皇の皇后として入内し、中宮となりました。
壮絶な人生を歩み、25歳の若さで崩御しました。
明るく聡明な女性だったということです。
その皇后定子のお墓である鳥戸野陵に行きました。
分かりにくい場所でしたが、細い路地から山道を抜けると
鳥戸野陵参道と書いてある石の階段が現れました。
その参道を登っていくと、突き当りに立派な御陵がありました。
参道も御陵の前もゴミ一つ無く、掃き清められて綺麗でした。
清少納言と中宮定子に思いを馳せた旅でした。
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