私の両親は早くに亡くなったので、老いた姿を見ていません。両親ともに闘病中はやつれて痩せこけてしまったのでその姿を思い出すと悲しくなりますが、私の中では両親はいつまでも「頼れて尊敬できる」存在です。
母はなんでもよく知っていて、教師だったので、知識を伝達することが得意でした。何かを聞くとインターネットもない時代から「生き字引」のようになんでも教えてくれました。
ただテクノロジーは弱かったので、最新機器の使い方とかクルマの運転の仕方などはまったくわかっていませんでした。前にも書きましたがワープロや携帯電話を使わずにこの世を去って行ったのです。
母から直接「教訓」のように教えてもらったことはいくつかありますが、母との思い出の中で自分が「母の教え」として大事にしていることもあります。
母の教えについてはこの記事でも書いています。
母との思い出の中で自分が「母の教え」として大事にしていることのひとつに誰かの葬儀の直後に形見分けをねだることだけはしてはいけないというのがあります。
私の父は、子供がいない本家に養子に入ったので、実の母とは離れて暮らしていました。私がよく遊びにくるおばあちゃんが父の産みの親だと知ったのは小学校高学年か中学の頃だったと思います。それまでは同居していたおばあちゃんが父の母親だと思っていました。父の実母は、父の弟家族と同居していました。父の弟家族と同居を始める前はしばらくひとりで住んでいたと思います。父の実母は私たちの家にいた父の養母の唯一のお友達というか来訪者でした。おそらく実母は自分の息子(私の父)に会いたくてうちに来ていたのでしょう。
同居していたおばあちゃんが亡くなった時も、真っ先にかけつけてくれて涙を流していました。お葬式はとても小さくて親戚だけですませました。その直後、父の実母が亡くなった父の養母の着物がほしいと言ってきたのです。母は着物の知識がないし、興味もなかったので「この箪笥にあるものをどれでも持って行ってください」と言いました。父の実母は「前に来ていた〇〇の着物があるはずなんだけど」とタンスだけでなく押し入れも探していました。
その後、母は「私はおばあちゃんの着物なんてほしくないし、全部持って行ってくれていいんだけど、あれがないとか、これがあったはずだと言われるのは嫌だったわ」と言いました。
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