今週は論文推敲週間として、共同研究者さんと2本の論文をお互いに推敲しながら書き直しをしています。
その合間の「備忘録」としてブログ記事を書いています。
同じ親から産まれたお子さんでも全然性格がちがったり、育てやすさがちがったりすることがあると思います。もしかすると兄弟姉妹でも順番や性別が違ったら、全然ちがった成長をしたかもしれません。
我が家のようにひとり娘だと比較する対象が身内にいないので、どうしても同じような環境で育ったお子さんと比べてしまいます。アメリカで子育てをしていると「月齢」や「年齢」が同じでもかなり身体能力や認知能力に差があり、あまり比較の対象にならないことが多いです。
それで「両親が日本人でアメリカで生まれ育っている子」は自分の子供と近い環境だと思いがちですが、実はそれほど同じようだとは言えないことが多いです。そのためどんな研究でも「こういう結果が出たけど誰にでも当てはまるわけではない」と一般化できないことを伝えるわけですが、ある程度の大型データがあれば説得力も出てきます。
私の場合、統計を使った量的研究が多いのですが、言語教育とか子供の発達の研究で教育関係の人がおこなっている論文では量的研究は少ないです。量的研究データのよいところは個人差はあるもののだいたいの傾向がつかめる点です。
ここ20年くらいに収集したデータをもとに考えてみると「バイリンガルになりやすい人」は
- 言語習得敏感期(5歳くらいまで)に両言語のインプットがバランスよくあった
- 自我が確立する時期(個人差があるけれどだいたい就学時期)に両言語に対するいいイメージを持っている
- 12歳くらいまでに両言語による学校教育を受け、どちらの言語ともに学習がうまくいった
だと言えます。ここでよく話題になるのが、家庭内での言語使用と就学してからの家庭外での言語使用のバランスです。
例えばアメリカに住んでいる日本人家庭で、お母さんが専業主婦で子育てをしているような場合、就学までは圧倒的に日本語のインプットが多いのですが、学校に入ると途端に英語のインプットが多くなることがあります。そういう場合に子供(と親)は早く英語環境に順応しようとして英語の語りかけやメディア、絵本などからのインプットに集中するあまり、日本語によるインプットを(脳が)拒絶したり、日本語そのものが嫌いになったりします。また国際結婚家庭などで親の母語が異なる場合、家庭内言語のバランスはいいように思えますが、親がどちらも相手の言語を十分に理解していないと家庭内の会話はとても単純になる可能性があります。そういう場合、学校やコミュニティの言語(アメリカだと英語)がわからない方の親は家庭内でのステータスが低くなり、子供が親を見下したりすることもあります。それで英語だけを大切にして、日本語を学習しようと言う意思がなくなったりします。
もちろん言語学習能力とか総合的学習能力とか音楽的才能(音感)が高い人がバイリンガルになりやすいということもあるのですが、その能力を使いたいというか「学びたい」という意識がないと人は自然にバイリンガルにはならないので、環境を整えてあげると言うのはとても大切なことだと思いました。