夏休みに入ったので、毎日のように友人とランチをしています。
今日は仕事関係の人と飲茶を食べに行きました。
こちらはお店Facebookから画像を借用しています。
The Palace Seafood & DimSum
11701 Wilshire Blvd, Los Angeles, CA
私がロサンゼルスに引っ越した22年前 初めて行ったお寿司屋さんがこのビルに入っていました。
それからよくお寿司屋さんとこの飲茶の店に行っていました。
私の勤務先からはバスでも行けるし、駐車場も広く大人数が入れるから仕事先の人ともよく一緒に行きました。
今日の話題はもっぱら親の介護や終活。
昨日会った友人ともそんな話をしましたが、今日は日本の地方の過疎地での家の跡継ぎ問題や残されて誰も住んでいない空き家の管理など私にとっては衝撃的なというか想像もできない話でした。
都会だと楽で田舎だと人づきあいが大変というわけでもないし、都会なら跡継ぎ問題などなくて家の処分も簡単というわけでもないと思うのですが、あまりそういう話を私の周りの友人からは聞かないので見知らぬ世界という感じです。
アメリカに移住してきた日本人の人の中にはこうした日本の村社会というか閉ざされた人間関係から逃れたかったという人がけっこういるのですが、私は「いやいや 日本は海外の人がいうほど閉ざされた島国根性の人ばかりではないし、閉鎖的だとは思わない」と言い続けてきました。でもそれはきっと私が知る日本と その人たちが生活してきた日本はまったく違うものだったのでしょうね。
飲茶に話を戻しますが、中国に単身赴任し、香港に何度か出張で言っていた亡き父は、日本ではまだそれほど知られていなかったいろいろな飲茶のメニューを知っていました。
父は、薬膳料理のようなものや漢方を取り入れた食事についての記事を書いていたこともあります。父と母と最後に過ごしたお正月に父は当時流行り出した中華風おせちを注文し、飲茶のような小皿料理も同じお店から取り寄せました。
どういう話の流れだったのか覚えていないのですが、親戚がいる前で、父が母に向かって
アンタ 飲茶知らないの?
と言いました。ふだんは教養があって高校の歴史の教師をしていた母を尊敬して大事にしていた父がこんな言い方で母をバカにしたので私も母もビックリしました。
それから四か月して父が亡くなり、お葬式の後 母が「パパが作ってくれた麻婆豆腐が食べたい」というので、インスタントの麻婆豆腐の素で作ってあげたら、泣きながら「パパの作った麻婆豆腐は本当に美味しかったの。だからおせちに入っていた点心じゃなくて『もっと美味しい中華が食べたい』と言ったら、パパが怒ったのよね。」と言いました。
それから数ヶ月で母も亡くなり、私は飲茶を食べる度に最後の家族でのお正月を思い出すようになりました。
父も母も親戚からのいろいろなプレッシャーがあり、難しい時代を生きていたのかな、と今日の知り合いの話を聞きながらしみじみと思い出しました。
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