留学を支援してくれた母
両親との家族旅行中、私は母の言いつけを守って、でしゃばって私が英語を使うことは極力控えていました。父は英語圏で仕事をしたことがあるわけだし、母だってしょっちゅう海外旅行に行っていたのだから、それなりに英語は理解できると思い込んでいました。 けれどガイドさんやホテルの人と英語で話したり、相手の言っていることを理解するのは難しかったらしく、何度か「聞いてきて」とか「〜〜って言って」と頼まれました。私はその頃、すでに通訳の仕事をしていたのでテキパキと手伝ってあげました。その様子を見て母が「いつの間にか本当に英語が上手になったのね。」と言ってくれました。 その旅行のあと、父の容体が悪化してもう長くないかもと言われた時に、母が私のアメリカへの大学院留学を薦めてくれたのは、私にもっと英語を極めて活躍してほしいと思ってくれたからだとあとから知りました。
自己分析
海外に移住した日本人の中に「日本が嫌いな人」「日本人とつながることが嫌いな人」が一定数いる。また「ではの神」という言葉もあって、海外に居住した人で、日本に帰り「〜〜では」と海外での経験をことあるごとに言う人もけっこうよくいるらしい。前者の中には、どれくらい海外に住んでいるかという年数でマウントしたり、日本人の語学力(主に英語)をディスりあったりする人がいる。
私がアメリカで博士課程まで進み、自分の力で永住権を獲得した起動力は、母のことをバカにしたり、嫌な思いをさせた人に負けたくないと言う気持ちだったと思います。バブルの頃には、日本人が団体旅行で海外の高級ブティックを訪れて爆買いするなんてことがありました。母はヨーロッパツアーで行った高級ブティックの日本人スタッフにひどい態度を取られ「あのブランドだけは絶対買わないし、孫の代まで買わせない」と憤慨していました。わたし自身もバブルの前にハワイに住んでいただけで特権意識を持っていた時期がありました。日本から新婚旅行で来て高級ブランドのものを免税で買っている人を揶揄していたこともありました。でもいつからか、そういう「ただ日本国外に住んでいる」というだけで特権意識を持ったり、日本や日本人をバカにする人こそが恥ずかしいと思うようになりました。