*またブログ記事を上書きしてしまったようです
。昨日の「NOBU MALIBU]の記事に「いいね」をしてくださった方、申し訳ありません。
今日は日本時間だと私の誕生日です。日本は「天皇誕生日」で祝日ですね。
今日は私を産んでくれた母のことを話したいと思います。
私の母は日本の植民地だった京城(現在の韓国 ソウル)で生まれ 13歳の時に九州に引きあげ、18歳で東京の国立大学に入り22歳から35年以上、同じ高校で教師をしていました。子育てをしながら教師を続け、たくさんの生徒さんを育てました。
父は幼い頃に子供のいない裕福な親戚に養子に出され、養母の世話をしていました。母は父の養母と同居しながら、私が幼い頃に「休みの時にゆっくり遊べるように」と別荘を建てました。おかげで夏休みと冬休みは別荘で楽しくすごしました。さらに実母のために家を建て、私が大学を卒業するとマンションを買ってくれて共同名義にしてローンを一緒に組んでくれました。
母は義養母を看取り、実母を80歳過ぎまでお世話していました。母はよく「お母さん(実母)は子供をたくさん産んで育てたのに、誰にも面倒みてもらえなくて、子供を産んでいない義母が仕事もしないでパパ(私の父)に面倒をみてもらっているのは不公平だ」と言っていました。母と家にいたおばあちゃん(父の養母)が仲が悪かったので、私は子供の頃、家があまり楽しくありませんでした。
母はフルタイムで働きながら病気の父の看病をしていました。そして私の祖母(母の実母)の介護まではできなくなり、母の妹(私の叔母)に祖母を引き取ってもらいました。母はずっとそのことを気にしていて、父が亡くなった時に「おばあちゃん、またうちに戻ってきたいかな。」と私に言っていました。母自身も癌の末期だったので、その思いはかないませんでした。
母は13歳で日本にひきあげてきた時から亡くなる数日前までかかさず日記をつけていました。亡くなる前に私にその日記が入っている場所を教え「日記 お願いね。」と言いました。それで私は実家にあるものの中で何よりも先にその日記が入っていた箱を私が管理できる場所に移しました。
私は母のその日記のおかげで、人生の教訓をたくさん得ることができました。私は筆まめではないし、管理能力も低いので、娘にそんなものを残せませんが、私が母から得た教訓は娘に伝えたいと思っています。
母は昭和の時代にはまだ数少なかったフルタイムで働く女性だったので「自分のほしいものは自分で稼いで買いなさい。」とよく言っていました。一度、私が「私はトロが食べたいのに、がまんして赤身を選ぶような生活はしたくないな〜。」と言ったら「そんなことを言っている人は赤身も食べられなくなっちゃう人生になっちゃうわよ。」と言いました。つまり若い頃から好きなものをがまんしないで買わずに将来への蓄えをしなさいという意味だったのだと思います。
今でもトロを食べる度、母を思い出します。昨日のバースデーランチでトロを頼んだ時も母の顔を思い浮かべました。
先日、ロサンゼルスのスーパーで買ったトロが驚くほど美味しかったです。手前のハマチもおいしく、家族で手巻き寿司を楽しみました。こうしてアメリカにいてもお刺身が食べられる地域に住めたのはとても幸運だったと思います。
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