世の中によく出回っている2つの写真。
今、ちょうど本を書いていて著作権について、嫌になるくらい面倒な作業を繰り返しているので、これも厳密にはNGなのかもしれませんが、娘にiPadに描いてもらった絵を使います。
Equality (平等)とEquity (公平)
「こういう絵を描いて」とお願いしたら、数秒でインターネットから絵を拾ってきてくれました。
それな。
知ってるよ〜。でも勝手にママのブログに使いたくないから描いてほしいの。
と言うとチャチャっと描いてくれました。でも全然 力を入れていない(笑)
差がある人に同じものを与えても その差は縮まらないから、それぞれのニーズに合ったものを与えて同じレベルにするという考えを表しているのですが、ここで大切なのは
誰がこの台の数を決め、どうやって与えるのか
です。これを教育の場に当てはめてみると、現代社会では、親の経済力がこの台を高くできると考えられています。
ではその経済力(富)はどのようにして蓄えられるのか。ある人種差別の運動家が歴史的に虐げられてきた人種は、いくらがんばって経済力をつけても搾取され、子供に教育やよりよい仕事の機会を与えようとしてもそのチャンスをつぶされてきたと話していました。
以下のサイトでこの人のパワフルなスピーチの日本語訳が見られます。
https://www.bbc.com/japanese/video-53038671
貧困の連鎖は子供の教育機会や社会的地位の確立にも大きい影響を与えています。
そして政府や公教育がどんなに「平等に教育を受ける権利」を与えても「同じものをみんなに与える」と、左の絵のようにいつまでもこの差が縮まりません。
私の学生の一人(日本人家庭の子供)が「両親は小さい頃から『お金はないけど一緒に頑張ることはできるから』といつでも一緒に勉強をしてくれました。高校に入るくらいから両親は私と同じかそれ以上に勉強しているのをずっと見てきました。だから私が大学に入った時、本当ならこの大学で勉強すべきなのは私の両親だと思いました。」とエッセイに書いていました。
この台を与えてあげられるのは、親の経済力だけではなくこういう方法もあるのだと考えさせられました。
それで「ね〜、一緒に勉強しようよ。」と娘を誘ったのですが「は〜?」とつれない返事。
なかなか実際には難しいですね。
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