昨日「いっそ みんなで浪人したら」という記事を書いたのですが、思い返してみてあまりいいタイトルではないと思いました。

 

別に「浪人」とか「留年」とかにネガティブなイメージを持っているわけではありません。アメリカで日本語を教えていて、高校から大学に入るときに希望の大学に合格しなかった場合、1年進学を伸ばすことを「浪人」ということを教えると、学生は面白い言葉だと言います。でも日本ではまだネガティブにとらえられるかもしれません。

 

私の学生はよく卒業したあと、自分が希望する会社や大学院にはいらなければ、Gap Yearといういわば「就職浪人」になります。

職業差別とかではありませんが、私の勤務大学を卒業した学生が日系スーパーのレジをしていたり、日本のパン屋さんに勤めていると「大学で学んだ日本語を使える場を求めて就職してくれた」という嬉しさを感じる反面、これは彼らにとってはGap Yearなのかな、と考えたりします。

 

私が教育学学者として、言えることはひとつ

 

誰もが同じ時期に同じことをする必要はないこと

 

これは昨日の記事にも書いた通り、早生まれの子、成長が遅い子にとっては、必ずしも日本政府が決めた「就学時期」がその子にあっているということではないということです。

 

そして すべての子どもには平等に教育を受ける権利があり、私たち教育者はその権利を守る義務があります。

けれど、それは決して日本の義務教育の現場の先生に無理やり「教育の機会」を生徒に「一方的に押しつける」ものではありません。オンラインが使えなければ、使えなくていいのです。通常の授業が閉校によってできなければ、全国、全世界規模で、対処策を考えましょう。

 

なぜ、現場の先生が、感染の恐怖にさらされながらも通勤しなくてはいけないのか、日本の教育現場を統括する文部科学省の方々、よく考えてください。

 

すべての子どもに平等の教育を受ける権利を与えるなら、明日にでも世界中で日本語を・で学ぶ子どもたちに教育の場を提供してください。

 

それが私の願いです。

 

 

 

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