これまでずっと、ジョージア州での初めての大学院で習ったことについて書いてきました。

 

私の最初の修士はSpecial Educationで、修士論文のテーマは「日本人の英語の発音」でした。

 

その論文を書き上げ、大学に提出し、日本に帰ると 母は一年前に手術した胃がんが再発し、再入院していました。

 

病床の母は、私が大学院を修了したことをとても喜び、翌年の5月の卒業式には絶対行きたい、と言ってくれました。

 

けれど、その3週間後に亡くなり、母に卒業証書を見せることはできませんでした。

 

両親を同じ年に相次いで失くした私は、これから、どこで何をしたらいいのかわからず魂が抜けたような状態でした。その頃、実家の周りを歩くだけで、両親との思い出が蘇り、母と一緒に行ったデパートで泣き出してしまったこともありました。

あの時、「アメリカに行く」という選択は、私にとって悲しみを忘れさせてくれる手段でもありました。

 

それから3ヶ月、以前に出していた大学院の転入申し込みを書き換えて、またいくつかの大学院に願書を出しました。

 

そこで、いくつかの大学院から合格通知をもらい、私が研究したい分野の第一人者がいる大学に決めました。この時、のちに私の恩師となるアイビーリーグの大学の先生が言った言葉が今も頭に残っています。

 

「大学院生になるなら、いい図書館がある街がいいですよ。A大学とB大学はどちらも名門ですが、私ならボストンにあるB大学を選びます。」

 

今でこそ、インターネットで学術論文も簡単に読めるようになりましたが、その当時、いい図書館があるというのは素早く文献が手に入るという大学院生にとって最高のメリットがありました。

 

そして、私は春学期(1月から始まる)から受け入れてくれるという条件で、ボストンにある大学院に行くことにしました。


 

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