今日、やっと期末試験の成績を出し、今週末の卒業式が終わると長い夏休みに入ります。
私の専門は、バイリンガリズム(言語発達)なのですが、アメリカの大学院の最初の専攻は、Special Education (特殊教育)でした。
なぜ、この専攻を選んだかと言うと、私は「日本語を教えて大学院に(学費免除で)行ける」というプログラムに申し込み、アメリカの大学院に入ったので、私が派遣された大学には「バイリンガル研究」という専攻がなかったからです。
「教育学」という大きい枠組みの中で、1990年代当時「バイリンガル教育」というのは、ホットな話題でした。
1974年のLau Vs Nicholsという裁判の判定が最高裁判所で下されました。この裁判で「英語ができないからと言って、教育上の差別をしてはいけない」という判決が出たため、英語ができない移民の子供のための教育が義務付けられるようになったのです。
そこで、英語ができるようになり、英語で教育が受けられるようになるまでの間、移民の第一言語を使って教育を受けさせるというのが、Transitional Bilingual Education (TBE) プログラムの主旨でした。
そのプログラムは、モノリンガルをバイリンガルにするためではなく、バイリンガルになりかけている人から第一言語(母語)を失くして英語話者へと移行(transition)することが目的でした。
この事実を知った時は、かなりショックでした。当時、人々は「早く英語を習得すればするほど、いい教育が受けられ、いつまでも母語を話したり、母語で勉強していると、英語の上達が遅れる」と信じていました。
「バイリンガル教育プログラム」に長くいること=英語が上手でない、学力が低い というレッテルを貼られ、3年以上プログラムにいると知能検査を受けるように薦められたという話も聞きました。
私が日本から来て「バイリンガル教育に興味がある。」と言うと、みんな「なんで、また?」と首を傾げ、「特定の科目を教える先生になりたいのでなければ、教育学部の修士を取る必要はないんじゃない?」と言われました。
私は、その頃、漠然とアメリカの大学院に行って英語が上達したら、日本に帰ってまた英語を教えよう、と思っていたので、やはり「教えること=教育学」の学位を取りたいと思っていました。
アドバイザーに私がやりたいことを伝えると、「じゃあ Special Educationはどうか?」と言われました。Special Educationのコースワークの中にLanguage Development (言語発達)のクラスがあるから、そのコースが一番、近いから、ということでした。
アメリカで学校教育を受けたことがなかった私にとっては、すべてが新しく、今では、日本でも一般的になったLD (学習障害)やADD(注意力欠陥、今はADHDの一部と見なされることもある症状)について、学べたことは、親となった今、とても役立っていると思います。
これは24年前の写真です。
もう4半世紀がすぎようとしていますが、今でもアメリカの教育はこの頃とあまり変わっていないような気がします。
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