私の母は、22年前に亡くなりました。母が遺してくれた日記には、子育ての秘訣がたくさん書かれていました。これから数回に分けて、母の日記に記されていた想い出をブログに載せていこうと思います。

***これは、18年くらい前に、ある雑誌の「ヒューマンドキュメンタリー エッセイ コンテスト」に応募して、掲載していただいた記事からの抜粋です。***

 

私は 母の最期の言葉をはっきりとは覚えていない。ただ母の最期の姿を思い出す時、私はいつも母が私に「日記、お願いね」と言った記憶がよみがえる。本当に母は私に自分の日記を託したのだろうか。もしかすると、あれは私が想像の中で創りあげた1シーンなのかもしれない。けれど私の心の中には 自分の一生を綴った日記を自分が死ぬ前に私に託した母がいる。

私の母は、14歳のときから60歳でなくなるまで一日も欠かさずに日記をつけていた。母の家族は戦時中、日本が植民地化していた朝鮮半島(現在の韓国)に住んでいた。終戦直前に九州に引き揚げて来たときから、母は自分の日記を大事に保管していた。大学入学と共に上京した時も、父と結婚して嫁いで来た時も、母は自分の日記を大事に持って来たのだろう。そして兄が産まれ、私が産まれ、数十年という時を経て、母が記し続けた日記は『昭和』という時代を生き抜いたひとりの女性の人生を鮮やかに映し出していた。

母が日記をつけていた事は子供の頃から知っていた。母の日記には自分の事だけではなく、私達兄妹の記録も毎日綴られていた。夏休みの宿題で「絵日記」が出題された小学生の頃、夏休みが終わりに近づくと子供たちは、ためてしまった日記の宿題をあわてて書き始めるのがお約束だった。自分が何をしたかを思い出せなくなると私は母に「私は○月○日、何をした?」と聞いたものだった。母は「しょうがないわね」と苦笑しながら自分の日記を見て、私が何をしたかを教えてくれた。母は日記と言うものの存在を通して、私にプライバシーという概念を教えた。他人の日記や手紙は決して見てはいけない、と子供の頃から強く言われていた。そのためか、私は母の日記を見た事は一度もなかった。興味がなかったわけではないが、子供心に母がどんなに日記を大切にしているのかを知っていてそんな母の宝物には触れてはいけないような気持ちを持っていたのだと思う。

母が亡くなった日から1ヶ月ほど、私は毎晩、桐の茶箱から母の日記を取り出し、少しずつ、少しずつ読んでいった。家族の事、仕事の事、毎日の些細な出来事を一日も欠かさず記録し続けた母。喜び、悲しみ、怒り、すべての感情が行間からほとばしり出ていた。私が子供の時に母の日にプレゼントした「肩たたき券」や高校受験の合格通知などがその年々の日記にはさまれていて、娘の成長を心から喜んでくれていた母の様子が手に取るようにわかり、涙が止まらなくなった。 (続く)

 

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