クミシュラン皆川公美子です。
仲丸友恵さんのラブストラクションが大好きです。
「体感アート」。
見ただけで、身体に何かの反応が起こります。
「わ~~~っと風が吹き抜けていく感じ」とか
「どどど~っと何かが迫ってくる感じ」とか。
それは「体感」なので、とてもとても言葉にしにくいのです。
もともと言葉は何かを座標軸に捉えるためのもの、って思います。
たくさんの人と暮らしていくなかで、
これはこういうものだよね、っていう認識がずれていると
話がなりたちません。
例えばコップをコップという共通認識するということが
必要であって、
みんなでコップをかこんで
「固ーいやつ」
「重い~もの」
「丸い?いれもの」と、コップをどう感じているか、から入ると
そこに「本人の感じ方」が入るので、
いろいろな進入角度があり、
同一のスタンスで話すのが難しくなります。
そしてモノゴトの定義をさぐるところからはじまると、
本題までたどり着けません。(笑)
左脳的に、座標としてこれは何、どういうもの、という確定は
社会として機能するためにはどうしても必要なことですね。
けれど、個人の幸せは、左脳で定義することはできないジャンルのものです。
私のシアワセ、は私しか分からない。
私が幸せを感じているとき、身体で感じているはずです。
頭で幸せを定義してみたところで、
「毎日食べ物に困らない」
「温かいベッドと食事がある」
「家族で笑いあえる」
「たくさん、ではないけれど、信頼できる友がいる」
これはシアワセな条件を考えることができる、であって
それでは全く幸せな感じになりませんよね。
幸せな感じとは、
あ~シアワセ~とニッコリふんわりする感じですよね。
私、ほんとうにわかりました

右脳的なもの、というのは、ず~~~~っとなんだろうと思っていた。
感じる、ということは何なんだろうと思っていた。
感性、というものの正体は何だろうと思っていた。
それは、
「体感をとおしたもの」なのです!
もっと言うと
「身体をとおしたもの」それが右脳的なもの。
これが感じると言うモードなんだ。
今思うと、運動と身体機能を司っているのは右脳なのだから、当たり前か。
でも「シアワセ」とはいったいなんだろうと考えたとき、
そこに身体が大きく関係している、というのは
私にとっては驚きでした。
幸せって頭で感じているのだと思うじゃないですか。
違うのですね、どちらかというと腹で感じている、
ということです。
「腑に落ちる」
と
「幸せを感じる」
は
兄弟のようなものだということです。
友恵さんのラブストラクションアートは体感を通しています。
最初に絵を描きだしたのは、どういうときか以前聞いたことがあるのですが、
身体に痛みがあったので、それを解放するようなモードで
絵を(線描)描いていた、と言っていました。
そうしたら、本当に痛みが解放されていったので、
「痛みを解消するツールとして」
ときどきそういうモードで絵を描くようになったのだそうです。
仲丸友恵さんの体感美術館へようこそ! ➡ラブストラクションページはこちら
全部原画を買い占めたいくらい!!
ひとつひとつ体感があるか、見てみてください。
「自分のラブストラクションアートは何を描いているのか、
遠隔ヒーリングの時に出る映像は・・・
自分のからだに対してみてる時の映像は
右脳的感性で描いていて言語化できてなかったけど、
わかった~~!!!!
そして個人向けの絵もできる事が・・・ほぼ確信してきた」
すごいっ

待ってました!!! ←皆川の叫び。








































