存在だけでありがたい
食べてから気づく、賞味期限大幅切れ。
大丈夫。
違いは食品工場で発酵しているか、我が家で発酵しているかの
差だけだから。
皆さんこんばんは。
ハタラクヒトのためのカウンセラー修行中 ナガトーカオルです。
本日、久しぶりに長距離運転をしました。
ひと様の車を運転するのは一抹の不安がありますが、
自分の愛車、緑のデミオ“ナガトーカエル号”を
運転するのは大好きなので、全く苦にならず。
その間、30年来の親友とず~~~~~~~~~っっと
話をしており。
まあお互いに山高く谷深く、シートベルトなしの
ジェットコースターに乗っているような濃い目の
人生を歩み、お互いの欠点やら自分が気づかない
部分すら知っている仲。
存在してくれていることだけで、
ありがたいと思える友。
さて、以前のワタシは、「役立たず恐怖症」でした。
誰かの役に立っていること、誰かに頼られていること、
それが生きる支えであり、自分が役に立たなくなったら
生きている意味がない、存在意義がない、
ダメな人間だ、と思い込むような節が。
ある種の「共依存」的なものだったのだと思います。
アドラー心理学を学ぶ中でも、
人間は「貢献感」が満たされているときに
喜びや人間としての価値を見出せる、という箇所があり、
まさにそうだと思っていたところ、
そこには続きが。
では、寝たきり老人、生まれたばかりの子ども、
病気で働けない人など、社会に貢献していない人は
価値がないのか?
あります。
その人がいるだけで、生きていてくれるだけで、
たとえ病気で、もう、話しかけても無反応だとしても、
何もしてくれなくてもいい。そこにいてくれるだけでいい。
そう思ったことはありませんか。
いろいろな出会いがあり、出会いの数だけ別れがあり、
「花に嵐のたとえもあるさ
サヨナラだけが人生だ」
という言葉もありますが、広い世界で、長い歴史の中、
めぐり合えただけですごい確率。奇跡のようなもの。
だから、相手に何かを求めたり、相手に何か与えよう、
なんて不遜なことなのかもしれない、
と思えるようになりました。
すっと力が抜けました。
重い荷物を降ろして、ずっと下ばかり見てた視線を
上にあげたら、青い空が広がっていたような。
そんな風に思うようになったら、
切れそうな縁が繋がり、もともとあった縁もさらに強まり、
そしていろいろな新しいご縁が結ばれていくようになり。
不思議なもんだなぁと思ったのであります。
ということで、本日はこの辺で。ごきげんようっ(^O^)/
P.S.
本日のSpecial Thanks to Shizouko!