ブログに来ていただいてありがとうございます。
どうも、やながわです。
AIを使いこなしているつもりで、
ただ投稿を作った気になるためだけに気づけば使っていた。
これは、あまり言いたくない。
でも、ここを見ないまま「AIをどう使うか」を話すと、
ぼくの場合は少しずれる気がしています。
AIに投稿案を出してもらうようになってから、
発信の負担はかなり軽くなりました。
X、Threads、Substack、note候補まで、
日々の案は前よりもずっと出しやすくなった。
それ自体は、すごく助かっています。
ただ、ある日ふと見返したときに思ったんです。
「で、ぼくは何に反応していたんだっけ」
投稿案はあるし、文章も整っている。
今日やることも進んでいるように見える。
でも、自分の中に何が引っかかったのかが残っていない。
読者のどんな場面を見ていたのかも曖昧なまま、投稿だけが増えている。
この感覚が、少し嫌でした。
発信しているようで、
実際には「発信している状態」を作っていただけかもしれないからです。
AIが悪いという話ではありません。
むしろ、
考えを整理したり、切り口を出したり、
過去の流れと照らし合わせたりする作業は、
ひとりで抱え込まなくていいと思っています。
ただ、AIに任せるほど、見えにくくなる場所がある。
「自分が何に黙っていられなかったのか。」
ここだけは、外に渡しすぎると文章が軽くなる。
AIを使えば、文章はそれなりに整います。
言葉の重複も減るし、構成も見やすくなる。
でも、その文章の中に、
「ぼくはこれを見過ごしたくない」という芯が残っていなければ、
読める文章にはなっても、仕事の材料にはなりにくい。
最近、怖いと思ったのはそこでした。
投稿数が増えることと、発信が積み上がることは違う。
発信が積み上がるというのは、
たくさん投稿がある状態ではないと思います。
自分が反応した場面と、
その場面をどう見たのかがあとから分かる。
次に考えるべき問いまで残っている。
そういう状態のことだと思うんです。
逆に言えば、
そこが残っていないなら、どれだけ投稿しても流れていく。
ぼくは「発信を続けること」を大事にしてきました。
でも今は、続けることと同じくらい、
見返せる形で残すことが大事だと思っています。
たとえば、ひとつ投稿を作ったあとに、
それが誰のどんな場面を拾ったものなのかを残しておく。
自分の中で何が引っかかったのか。
読者のどんな課題として見たのか。
次にnoteやメルマガで深めるべきなのか。
それとも、今は売らずに置いておくべきなのか。
そういうことを、あとから見返せるようにしておく。
それをやらないまま毎日投稿だけを増やすと、
前に進んでいる感じは出ます。
でも、仕事にはつながりにくい。
これは読者に向けて書いているようで、
かなり自分に向けて書いています。
ぼく自身、
投稿案が揃ったことで安心していたところがあるから。
だから進んでいる、と思いやすかった。
でも本当は、そのあとに見るべきものがありました。
この投稿で、自分は何を見たのか。
ここを残さないまま発信を続けると、
AIを使うほど投稿は増えるのに、
自分の仕事からは少し離れていく感じがあります。
AIは、代筆者としてだけ使わない方がいい。
今のぼくは、
AIを編集部のように使いたいと思っています。
整理や比較、別角度の提示、
過去の流れを見返すことは手伝ってもらう。
でも、何に違和感があって、
どの読者の現実を見ていて、
何を仕事の材料として残すのか。
そこは、自分で見ないといけない。
ここまで渡してしまうと、発信は楽になります。
でも、自分の名前で仕事をしている感覚は弱くなる。
発信を増やす前に、投稿のあとで見返す場所を作る。
今のぼくには、たぶんそれが必要です。
投稿が流れても、自分の見立ては残る。
反応が一瞬で終わっても、次の問いには戻れる。
まだ商品にしない方がいいものを、売らずに置いておくこともできる。
そういう場所がないまま発信を増やすと、言葉は増える。
けれど、仕事の材料は増えにくい。
発信を積み上げるというのは、
投稿数を増やすことではなく、
自分の見立てと読者の反応を、
次の仕事につながる形で残していくことなのだと思います。
最近は、
このあたりをメルマガでも整理しています。
AIをどう使うかよりも、
AIを使ったあとに何を自分の中に残すのか。
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