此の『篠ノ井駅』からは、JR線が『長野』から飯山線を経て信越本線で日本海に沿い
逆に篠ノ井線が『松本』➡『塩尻』➡『新宿』 Or 『名古屋』と中央線が出ます。
さらに『小諸』➡『軽井沢』と『JRとしなの鉄道』が相互乗り入れしています。
かつてこの線を走っていたJRの車両、設備をしなの鉄道が運用している様です。
私は此処から乗り『千曲』で降りて川沿いの道を『戸倉(とぐら)』迄お散歩の予定でしたが
千曲川まで遠く、歩くのは大変と教えられパス。この近くに『戸倉上山田』と言うひなびた
温泉に家内と泊まったのを思い出しました。
そのままついたのが『上田駅』です。車両は旧国鉄時代の花形列車の、『湘南型』でした。
通称『ミカン電車』呼ばれ、今もあちこちで現役として稼いでいる様です。
上田の街はこざっぱりした町で、時の城主『真田幸村』が忍べます。
街の中の上田城の歴代城主のお屋敷跡が残っています。重厚な感じのご門が県立高校の正門に
なっていました。入り口に校歌を刻んだ物が飾られ、卒業生の誇りを感じる事が出来ました。
直ぐ傍に城門があり、堀を渡る橋の両側に、立派な『櫓』が立っています。
枝垂桜が丁度見ごろに咲いていました。これと左右対称の櫓が立っていました。
向かって右側の櫓と桜に人気が集中していました
此処でも城門を守る『真田の武士』に出迎えられ『出迎え ご苦労』と声を掛けました。
此の上田城には、天守閣が再現されておらず『城址公園』となっています。
これは先程の『櫓』を裏から見た物です。立派ですね。
見事な枝垂桜ですね。観光客も少なくゆっくりと城内の散歩が出来ました。
然し今回の旅では見事に外人さんとは合わなかったですわ。外人さんが落としてくれるお金で
生活している人々にとっては、痛い春ですねぇ。早くコロナが治まって欲しいですねぇ。
慣れないマスクは本当に辛い。息が眼鏡に掛かり曇って時刻表が読めない・・花粉症で
年中マスク着用の人が気の毒でなりません。上田駅に戻ります。
上田の街の繁華街(?)も歩いてみましたが、何処にもゴミがなく綺麗な街です。
建物にも歴史を感じさせるものが、並んでいました。『上田駅』~『小諸駅』までは
この様な派手に化粧した、『しなの鉄道』の列車でした。

『小諸』までの右側車窓に『浅間山』が良く見えます。天気は上々・・・
『小諸出て見りゃ、浅間の山に、今朝も三筋の、煙吐く・・』浅間馬子唄を口ずさみます。
『小諸』に到着です。『小諸』と言えば『小諸城・懐古園』ですね。実は50年近く前の
新婚旅行のコースに入っていました。ここに着いたのは夕方で暗くなる前に、城内散歩です。
日本100名城の小諸城は平安時代に起源をもち、戦国時代に武田信玄の命により山本勘助ら
によって縄張りがされ、原型が整備されたといわれています。城郭が城下町よりも
低い場所に位置する「穴城(あなじろ)」で、これは日本で唯一といわれています。
明治4年(1872年)の廃藩置県で廃城となった小諸城は、その後、小諸藩の元藩士らに
よって明治政府から買い戻され、大正15年(1926年)には、明治神宮の森や日比谷公園も
設計した本多静六により、近代的な公園に生まれ変わりました。
日本さくら名所100選、日本の歴史公園100選にも指定されています。
此処も『天守閣』がないのですね。城郭から望む『浅間山』です。
『すねてなったか性分なのか、旅から旅への渡り鳥。浅間三筋の煙の下にゃ
生まれ故郷があるって言うに、男、沓掛時次郎』・・・沓掛時次郎(橋幸夫)
千曲川旅情の歌 島 崎 藤 村 この歌を掘った石碑が立っていました。 中学年生の時の教室に、この歌の全文が貼ってあり、全員が全てを覚えた物でした。 石碑の前に立って読んでみましたが、かなり忘れていました。 60年近くたっているので仕方無いですかね。 城内のお宮様で、今日一日の無事に感謝し、明日も安全で楽しい旅を祈り、城を跡にしました。 ホテルはすぐそこでしたが、素泊まりだったので、近くのコンビニで夕食、酒を仕入れて チェックインしました。偶然ですが大きい天然温泉と書かれたお風呂があり、疲れた体を ドボン!・・・ふぅー疲れたと体を伸ばし、ほっと一息。 コンビニの寿司で上等、ビールののど越しの良かったこと…疲れた!すぐに寝ました。 旅もブログも明日で終わりです。明日が楽しみです。楽しい旅になりますように・・・・。 |












