介護の話とヘビーでスイマセンな話とV・Eフランクル | Adagio Days

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カオスなブログ


注意今日の記事『今、けっこう逆境っぽいかも・・』という人にはヒットするかもしれませんが、


そうじゃない人が読んだら、”ただの重くてヘビーな内容”なので、


それを了承の上、ここから先読み進めてください。







昨日は、


今年に入って少しだけ読み返していた本の続きでもを読むかと、


それ持参でいつものカフェへ。ラテ






だったらブログ更新しろやー!むかっ







なぜ今年に入ってその本を読み返したかと言うと、


昨年末に母が入院したり、退院後介助が必要になったり、


その他、


実家ブラックファミリー絡みの面倒くさいこと諸々抱える羽目になり。


まぁ、それも


『必然(自分に必要な試練^^;)ってことなのね』と悟ってみたり。。


そんな心境から再びその本を手に取ることに。









話が少しそれますが、


母の介助生活が始まった時期、


『すごいつながりだよな~』って


感慨深い思いになってしまったことがあってですね。


実は、時同じくして、


なんと読者の方数名から、ほぼ同じタイミングで


”うちも親の介護が始まったんです”


というメッセージやらコメントやらいただいたのです。


以前のアンケート結果から見ても、


このブログの読者さんの年齢層から言って、


そういう時期に差し掛かかっていてもおかしくないのですけどね。


まさか、時期までリンクしちゃうとは。。。^^;









介護と言っても、


そのケースは様々で、


介護レベルはもちろん、


その家族の事情によってその大変さっていろいろあるから、


一概に”こういうもの”と一括りにすることはできないのだけど、


『みなさん大変な思いをされているのだろうな・・・』と。








それで、うちの母の場合なのですが、


介護判定は”要介護○○”とかじゃなく、


”要生活支援”という軽度の介助だったので、


生活介助に関してだけなら、


今では、かなりラクになって、


一時期のどっぷり浸かった介助生活からは


『いちぬけた~♪』感があるのですが。。

















でも、これはうちの母のケースで、


同時期に親御さんの介護が始まった方々は、

”今でも大変な日々が続いているのだろうな・・・”


という思いがよぎるわけです。


それに、


今回の母の件や、


以前父を介護した時に、世間の介護事情をいろいろ調べたのですけど、


兄弟姉妹や嫁とか、


家族総出で手を取り合い協力し合い。。。


という絵に描いたような理想的なケースももちろんあるけれど、


現実はその真逆のケースも数多く見受けられ。。


ざっくり書き過ぎながらひと言で言っちゃえば、


親の面倒を、










看る奴は看る。


看ない奴は看ない。







もちろん『看たくても看れない』等個々の事情もあるだろうから、


一概にそれを否定できるものでもないのですが、


そういう背景も踏まえて、


負担の差が大きい・・・


というケースがけっこう見受けられ、


各ご家庭それぞれの介護事情に思いを巡らすわけですが。。










介護に関わらず、


世の中って苦しいこといっぱいだけど、


私自身、父の介護や母の介助を経てみて思うのですが、


”年老いた親の面倒を看る”って、


そこそこ大変で、


人によっては、介護疲れで親や長年連れ添った伴侶を殺しちゃったり、


死ぬほど・・・、殺したくなるほど大変だったりするわけで、


途方に暮れることもあるかと思うのですよね。


まぁ、生きているだけでそう思いたくなることなんてザラにあるかと思いますが。。














それで、前置き長すぎましたが、


昨日続きを読んだ本が、


旧ブログでも何度か別の著書でシェアした、


ヴィクトール・フランクルの


『それでも人生にイエスと言う』


という一冊。








有名な本なので、ご存知の方も多いかと思いますが、


著者であるオーストリア人の精神科医V・Eフランクルは、


ナチスドイツ軍による迫害を受け、


ご両親と奥さんを強制収容所で殺され、


自身はかろうじて生き延びたという過去を背負った人。


そのアウシュビッツ強制収容所での


生き地獄とも言える凄惨な日々と、


その極限の中での心理描写を綴ったのが


代表作とも言える『夜と霧』という本。




















なぜ私がこの人の著書を好んで読むのかと言うと、


実の両親と奥さんを殺され、


自らも死と隣り合わせな強制収容所生活を強いられ、


そんな残酷極まりない経験を経ても、


『人生にイエスと言う』と提唱しているところ。


どんな人生も否定せず


『はい、わかりました』って受け入れようよって言ってるところ。









様々な著書の中に綴られているV・Eフランクルの言葉は、


もう、”説得力”とかそういう次元を超えて、


何の疑いもなく、ただその言葉の重みにひれ伏すのみ。。


なんですよね。^^













冒頭に書いたように、


現在大変な思いをされながら


親御さんを介護されている方がいると思いますし、


報告いただいた方以外にも、


最近になって介護が始まったという方、


また、介護とかじゃなくて、


今厳しい状況の中で踏ん張っている方もいるかと思うのですよね。


それが、時には受け入れ難いことだってあるかと思いますし、


天を見上げ、


『なぜにこの試練?』


って御上に問いただしたくなることもあるかと思います。













私自身、


『それでも人生にイエス・・・』どころか、


『なぜにこういうこと起こるか?』


『人生厳し過ぎやしないか?はぁ~!?』


などなど、受け入れる以前に、


ブーブー文句垂れ、


ふてくされることしょっちゅうなんですが、^^;


それでも最後は『ハイハイわかりましたよー!』って、


渋々でも、


『自分にとって意味があり必要なことなのね』って、


V・Eフランクル氏の言葉を借りて、


『それでも人生にイエスと言うぜよ!』


って受け入れることで、


その後の展開が開けていくってあって。。

















ただ、


今現在、みなさんがどれだけのことを背負っているかなんていうのは


私にはわかるわけなく、


受け入れるのに時間を要するなんてこともあるかと思います。


だから、


闇雲に『すべてにイエスと言いましょうよ!』


なんて言うつもりは毛頭ないですが、


そういう選択肢(視点)を心の片隅にでも持つことで、


時間の経過と共に、精神的負担が軽減するきっかけになるかもしれなく。。

















ダラダラと書き綴ってしまいましたが、


最後に、


『それでも人生にイエスと言う』より抜粋した言葉をシェアします。


Quote of the day




絶望の中で心が苦悩の闇に覆われているとき


生きていることはただ苦痛でしかない。



その苦悩のまっただ中でこそ


気づかなければならない真実がある。



『どんな運命も比類ない』


『苦悩』それこそが


人生を意味のあるものにするのだ。



苦境の中でこそこの言葉に意味が生まれる


『それでも人生にイエスと言う』



人は絶望の極みにおいてこそ尚、


人生を真に意味深いものにできるのだ。




V・E・フランクル『それでも人生にイエスと言う』より






Today's self coaching




あなたは今目の前にあるどんな出来事に、


或は、


どんな過去に、


『イエス』と受け止めたいですか?







それらを肯定し乗りこえ、


糧にしていった先には、


どんな自分がいますか?^^











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