金沢・茶屋街の女性達と現代に生きる私達 | 人生変えたい人のライフコーチング

金沢・茶屋街の女性達と現代に生きる私達

今日の記事一ヶ月前の金沢ネタなのに、


途中ブログ更新してなかったのと、


次から次へと書きたいことが更新され、


今さらながらの続きです。


金沢は楽しくもあり、またいろんなこと考えさせられたというか、


今日は重い内容かもしれません。


金沢二日目の午前中に行ったのが、


東茶屋街(ひがしちゃやがい)というところ。


ここではバスを乗り過ごしちゃって、地図片手に歩いてたら、


どこが茶屋街だかわかんなくなっちゃって、


ふと視界に入ったお宅の軒先に60代くらいのおじさんがいて、


その人に道を聞いたら、


なんとその人、


金沢市内のボランティアガイドをやっている人で、


その日は休みで、一時間くらいなら時間空いているから、


案内してあげるよって言われて、


なんとそこからその方に専属のガイドをしてもらっちゃいました。



毎朝自分に問いかけてみる。

ところで、金沢と言えば、


加賀百万石(ひゃくまんごく)


私は『百万石』の意味さえもわからず、質問したら、


一人の兵士が一年で食べるお米の取れる面積が1石(こく)と言って、


~長くなるので中略^^;~


要するに、


100万人の兵士を1年間食べさせる事が出来るくらいの財力が、


加賀藩(前田家当主)にはあったということ!!ヽ((◎д◎ ))ゝ


東茶屋街は、読んで字のごとく、


こんな風に↓お茶屋さんが立ち並ぶエリアなんだけど、


そんな栄華を極めた加賀藩に仕えた


上流武士達の遊び場だったそう。



毎朝自分に問いかけてみる。

街並みは風情あり、


うっとりするくらい素敵なんだけど、


そのおじさんの話に耳を傾けながら、なんとも言い難い心境になってきた。


だって、お茶屋さんって言い方変えれば芸者遊びであり、


その界隈には遊郭(ゆうかく・今で言う風俗?)もあり、


それらが近い距離の中でごちゃ混ぜになってたから。


ちなみにこの真っ赤な壁はベンカラ塗りって言って


当時の日本には、赤の塗料がなく、


バングラデシュから輸入して赤くしたのだそう。


『何で赤くしたんですか?』って訊いたら、


『こういう界隈だから華やかな気分になってもらうためじゃないかな』と。。


確かになんとも言えない朱赤は艶やかで美しかった。


現在は、カフェやお土産物屋さん、食事処として利用されていた。


毎朝自分に問いかけてみる。

どういう女性がこの界隈で働いていたのか訊くと、


お茶屋さんで働く女性は、


最初から芸者さんになりたくてなった女性だけど、


遊郭は貧しい農家の娘さんが、


借金の肩代わりに身売りされてたらしく、


そういう話聞くとますます複雑な心境になってきた。。



毎朝自分に問いかけてみる。


下の画像は当時の連れ込み宿。


ベンカラ塗りの表通りから、一本道を挟んだすぐ裏手にあった。


今でいうラブホの裏口。


お気に入りの子を連れ込み遊んだらしいけど、


帰りに人に見られないように、


この宿には何個か出口があるということだった。


その一つがこの裏出口。


ふ~んって感じでしたね。。



毎朝自分に問いかけてみる。


途中、案内してくれてたおじさんが用事があるからとさよならし、


代わりにその日の当番だったらしき友人のガイドさんを紹介してくれて、


その方にバトンタッチし、


青森から来たという男性二人と女性もなんとなく混ざり、


結局5人でその続きを案内してもらっちゃった。


いろいろ説明してもらった中で、


芸者さん?遊女?両方なんだと思うけど、


茶屋街で働く女性は精神的に病んでしまう女性が多く、


そんな女性達の駆け込み寺的な場所もあったという。


ガイドの方は、


当時の金沢芸者さんのレベルの高さや芸の素晴らしさについて、


手持ちの資料やら写真を雑誌の切り抜きなんかを照らし合わせながら、


それはそれは詳しく説明してくれた。


『じゃあ、同じ時代に同じ界隈で働いてた遊郭の女性は何なの?

                そういう話は公にはタブーってことか・・・?』


そんな疑問が湧いてきたけれど、


行動を共にした方々の表情にそんな雰囲気は見受けられず、


私一人の感情で、その場を濁すのは忍びなく、


その疑問は封印しながら、


引き続きその後の説明を聞いていた。




毎朝自分に問いかけてみる。



しばらくして、


私はその女性達のことが気になって気になってしょうがなくて、


私一人早めに切り上げ、


茶屋街のカフェへ行き、かき氷食べながら、


スマホで早速調べてしまった。



毎朝自分に問いかけてみる。

遊女として売られた女性は、


身売り金(身代金)と言って、その分を稼いで返さなければならず、


連日連夜働かされ、性病や過労で死んでしまう人も多かったそう。


遊女の境遇は苦界(くがい)と言われ、


ほんの一握りの女性は見受けと言って、


借金を肩代わりしてもらい、


お金持ちの奥さんになれるケースもなかったわけではないけど、


ほとんどの遊女となった女性は苦界(くがい)から抜け切れず、


悲惨な生涯を生きる運命になったそう。


毎朝自分に問いかけてみる。

時代が違うと言っちゃえばそれまでなんだけど、


過去に何度かブログで書いてきた太平洋戦争当時もそうだし、


金沢茶屋街の繁栄した江戸時代もそうだし、


どの時代に生まれるかで

人の人生は大きく変わる。


4月に行った鹿児島・知覧特攻平和会館 もそうだったけど、


その土地へ赴き、ほんの少しでも歴史に触れることは、


その時代を生き抜いた人達の生き様に触れることでもある。


特攻隊の青年達は、


家族を守るために自ら命を国に捧げて散っていった。


遊郭の女性は


『自分が貧しい両親や兄弟を救うんだ』


という気持ち(使命感)が強かったため、


不満を言う女性はほとんどなく、


苦界(遊郭)で生きることを耐え忍んだという。


当たり前だけど、それぞれの時代には


『自由に生きる』だの


『自分らしく生きる』といった概念は存在しなかったはず。


金沢だけでなく、遊郭は全国にあり、


その全体数は把握されていないけれど、


一説によると、


江戸時代、吉原(東京)で働く女性達は2000~4000人もいたらしい。


正義感にあふれ忍耐強い遊郭の女性達、


また時代は違えど、


太平洋戦争のさなか、


家族を守るためなら命をささげられる特攻隊の青年達、


彼ら彼女らが、


もし、今、


私たちが生きるこの時代を生きたとしたら、


どんなに素晴らしい人生を歩んで行くのだろう・・・って


そんなことを考えてしまいました。


『今日の自分への質問』


あなたに与えられた人生を

精一杯生きるとは、


これからどんな自分で、

どんな人生を

歩んで行くことなのだと思いますか?





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