「自分はすごい」「素晴らしい」
と言うのは、
傲慢なんだろうか?
それよりも、
「○○はダメだ」と、
誰かを引き合いに出して、
誰かを暗に否定して
自分を上げようとするよりはいいと思うんだ。
「自分はすごくなくて、周りの人のおかげです」
っていうのも素敵ですよね。
でも、これも
「わたしは、助け支えてもらえるような人なんです」
と言っているのと同じ。
謙虚であること
感謝すること
とっても素晴らしいと思うのです。
そして、それよりも
それ以上に
自分のことを
卑下したり、責めたり、
過小評価したり、可能性を閉じ込めたりして
本来自分が発揮する能力
本来自分が活躍するフィールド
本来の自分の魅力、を
傲慢なんて言う
つまらない言葉で閉じ込めてしまうことのほうが
いけないことだ、と僕は思うのです。
そして、
今までそうして閉じ込めてきた人が
それらを開放するには、
真逆に振り切ること、つまり
傲慢に振る舞い、自信満々に振る舞うことで
「やっと」バランスがとれ「始める」のです。
(すぐには無理)
卑屈、も、傲慢、も
「過ぎる」からバランスが崩れる。
両方、知って
両方、やって
初めて「ちょうどいい」を知れるのです。
その「ちょうどいい」が
感謝を「する」のではない、
「感謝が湧き上がる状態」と呼ぶと思うのです。
謙虚と感謝を、と訴える人ほど、
自分の中にわがままと傲慢を抱え込んでいることもあって、
自分が傲慢になり、わがままに振る舞うほどに
人に迷惑をかけていることを知るから
やがて感謝があふれ出し、謙虚になる。
そう、逆なのです。
感謝も謙虚も「する(Do)」ものではなく
「ある」もの、「なる(Be)」ものじゃないかな。
傲慢とは、どんな自分でも愛される、という自信 、
わがままとは、自分らしく生きる、ということ。
でも、結局は、どちらも、
そして何事も「過ぎる」から、
問題という摩擦が起きるだけで
傲慢とわがままが問題ではないのです。
感謝と謙虚も、過ぎると
卑下と卑屈になるのです。
謙虚にしなさい、でも、自信を持ちなさい
感謝しなさい、でも、遠慮してちゃだめだ?
さて、どうする。
自分は傲慢ではない、
というひとでも
わたしが、誰かを救いたい
誰かを幸せにしたい
という考え方さえも
時には傲慢であることも
知っておいたほうがいいのじゃないかなと
僕は思うのです。
昨夜は控えめに。。。謙虚に。。。お肉を。。。

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