名家燈籠輪句 豊臣秀頼の首から速水守治の首(二) | 風と太陽のブログ 名家燈籠輪句

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 対比表を作成の為、出土した頭蓋骨の写真を上部中央に、上部左に秀頼の写真、上部右に復顔した写真。三枚の写真の下に豊臣秀頼と速水守治の対比項目。年齢秀頼22才・守治15才、身長秀頼180cm・守治170cm、体重秀頼80kg・守治60kg前後。頭蓋骨の鑑定:眉弓は明瞭・上顎歯槽突出・乳様突起の発達良好・項線の発達は不良(筋肉の発達が弱いと推定される)・左外耳孔は骨新生物で閉鎖(後天性と思われる)・頭蓋縫合は閉鎖が見られず,明瞭に残存している・蝶後頭軟骨結合は巾は狭いが明瞭に残存している・下顎骨は右側が欠けている・歯牙は第三大臼歯の萌出を認めるが、咬頭部の摩耗はわずか。(略)頭蓋骨は成年としても、かなり年の若いものである。頭蓋骨と躯幹骨が同一個体のものであるとの証拠が得られないので、頭蓋骨は、別の個体の者と考えて、今回の出土骨は三体分からなるものと思われる。頭蓋骨のみについて言えば、かなり若い成人男子であり、頭部は前後に長く、鼻筋が通り、上顎がやや前方に突出している。ことに左側の外耳孔の骨性の閉鎖(外聴道骨腫)により、生前の左側の聴力は、極度に低下していたものと思われる。(兵庫医科大学欠田早苗教授(昭和57年5月6日付け鑑定結果)。頭蓋骨の年齢:17才前後(成年かなリ若い)、骨密度:栄養が行届く(庶民では無い)。秀頼の顔:面長で鼻筋は標準(写真より)。秀頼写真と復顔より、頭蓋骨は、秀頼で無い。この鑑定と復顔・左耳が聞こえにくい。京都嵯峨清涼寺さんは、何方の指示で又秀頼首塚の大きな墓石で秀頼公と決めつけ供養する。仏の立場は、自分の存在を無視され事実から大きく屈曲させられ1615年から1980年まで365年大坂城三の丸エリアで葬られ、2年鑑定のため検査、1982年から2015年33年は、京都嵯峨野で眠る。私の魂が守治に宿り輪廻転生した魂の居住先が、大坂城から京都嵯峨清涼寺、現在の私の体と頭蓋骨が交流できる素粒子ニュートリノの集合体が自然界の魂として共存共有する14000年前から神国日本縄文民族のタンパク質の分子構造が、5割を越えればこの様な魂と共有共存のできる神国日本民族の家系として存在している。自然界の無限を感じさせられます。(戦国武将速水守久・守治親子の大阪城足跡調査より)