このあいだ、知らない土地を運転していて
赤信号で止まったとき
ふと窓の外を見たら、路肩に生えていた
雑草と目が合いました。
わたしこういうとき、
すごくキュンとするんです。
何言ってるかわかんないでしょ。笑
雑草でも、植え込みの緑でも
植物って、生えたその場所で一生を終えるでしょう?
ということは、わたしが移動して
その場所に行かなければ
一生出会えない存在なんですよね。
そして、知らない土地の路肩の植物には
おそらくこの先二度と会えることはなくて
まさに一期一会だなって感じるんです。
その話をひとにしたら
「それって植物を命と捉えてるからだよね」
と言われました。
え?そりゃそうだよね?
と思ったけれど
もしかしたらこういう感覚を持つひとは
そんなに多くないのかな?
わたしはお花を家に買って帰るときとか
鉢植えを家に迎えるときは
猫を迎えるときと同じ感覚です。
「一緒にうちに来てくれる?よろしくね」
と声をかけるし
花が枯れて、捨てるときには
「楽しませてくれてありがとう」
と声をかけます。
ちなみに、虫はきらいなんだけど
家のなかに虫がいたら
極力、捕まえて外に逃がします。
巣を張らない蜘蛛(がいるの知ってる?)の場合は
そのまま同居したりします。
名前はだいたい「クモン」です。笑
めっちゃ話しかけますよ。ええ。
モノにも愛着はあるけれど、
生きているものには基本的に愛情が強いです。
わたしが育った実家は
まわりが田んぼばかりで民家が少なくて
近くに同年代の子供がいなかったので
わたしはひとりで遊ぶことが多い子でした。
土手の草や、虫や、ヘビ、野良猫
なんにでも話しかけていたし、
みんな友達だと思ってた。
だから学校からの帰り道に
土手が草刈りされていたりすると
泣いて親を困らせました。
そういうの、なんか変なんだなって
いつ頃思ったのかは覚えてないけど
どこかでそういう感覚は閉じて
ほんの少ししか残っていない気がする。
今日、最近話題のこの本を読みました。
そこに「日本人は虫と話せる」というのが出てきて。(虫の声を騒音ではなく美しい音として聴けるのは、日本人とポリネシア人だけなんだって!)
わたしは日本の“八百万の神”という考えが大好き。
どんなものにも、神(精霊•魂)が宿る。
子供の頃からあたりまえに、そう思ってる。
自分の持っているこの感性を、閉じたりせずに
大事にしよう。そう思いました。
ちなみにわたしは人間よりも
動植物のほうが通じあえるし、好きかも。笑
動植物は「今ここ」しか生きてない。
人間よりずっとすごい存在だと思ってます。
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