ブログを集中して書きたくて
久しぶりに夜のコメダに来ました。
この時間て、お一人様ばかりなのね。
夜のカフェって落ち着くなぁ。すき。
コウさんが帰ってきて2週間。
入院中は長かったけど、退院してきてからは早い!
体調も良く、検査結果も良くて、
しみじみ日々を大切に、楽しく過ごしています。
わたしはというと、
コウさんが帰ってきたことで
気持ちがだいぶ軽くなりました。
無意識にプレッシャーがあったんだなぁ。
生きもの
を預かるというのも、
コウさんのお店を守ろうとしてきたのも。
ブログを再開しようと思ったら、
なかなか言葉が出てこなくて焦った!
こういうのも、いちど中断してしまうと
リハビリが必要なようです![]()
カフェを始めて2ヶ月半。
いちばん大きな"気付き"になったことから書くことにしよう。
それは『母』とのこと、です。
カフェを"お弁当"という形で始めると決めたとき、まず母親にヘルプを頼んだ。
煮物や漬物は、わたしより確実にベテランな母に手伝って欲しかった。
父を失くして1年半、
脱け殻のようになっていた母を元気づけたいという気持ちもあった。
結果、母は本当に楽しんでいて
見違えるように元気いっぱいに。
忙しいくらいがちょうどいい人なので、
毎日イキイキしています![]()
でもね。
70代の母親と一緒に仕事するって大変なことだった![]()
この期間だけで、何回喧嘩になったかわからない![]()
仕事を手伝ってくれる「手」はものすごく助かっていて、とてもありがたいのだけど
「口」も出すのでもーー大変!!
母親は"人生の大きな課題の相手"だというのは、自分でも、カウンセリングしていても実感してきたけれど
一緒に働く日々のなかで、どっかんどっかん課題がやってくる!
ただでさえ慣れないことしてるっていうのに
母との関係で、幾度となくヘロヘロになりました。あ、今も。(笑)
母とは、決して仲は悪くない。
母は、毒親でもないし、悪い人じゃないし、
むしろ、子育ての頃から常に一生懸命わたしと関わってくれてます。
だけど、わたしとはタイプが違って、とことん合わない。
子供のように素直で感情的で、
こうと思ったら猪突猛進な母。
1ヶ月くらい前かな
もーだめだ!限界だ!無理だー!!
というくらいしんどかった時があって、
「なんでわたしは、母とこうなるってわかってるのに母に手伝ってもらうことにしたんだろう」って真剣に悩みました。
去年、母とラーメンでワンデイシェフランチに挑戦したときもね
もーーーめっちゃ大変だったのに、
なんでまた同じことしてんの?!
あほなの?学習能力ないの?!
だがしかしわたしはカウンセラーである(キリッ)
自分の気持ちととことん向き合うことにした。
母の、どんなところが嫌なのか
どうされると、何を言われると
どう感じてつらいのか
子供の頃のことも思い出しながら、
体感も、ひとつひとつ、じっくり感じていった。
毎晩毎晩、寝る頃やっていたら
本気でやつれた![]()
「感情を感じきる」って
ほんとーーーーーーに、きつい!!!
逃げたくなる。ごまかしたくなる。
だけど、もう繰り返したくない。
根っこの部分から解消したい!
そんなある日、夢を見た。
小学2年生のときの夢だった。
起きたとき、それはもう
パッカーン!
↑開いた音
「わたし、お母さんに助けてほしかったんだ…」
声に出したら、涙が溢れて
ひとりでわんわん泣きました。
心のことを掘り下げると、
何度も何度も出てくる小学2年生のときのこと。
佐久に家を建てて転校してきて、
新しい学校に馴染めずに苦しんだ頃のこと。
しつこいくらいインナーチャイルド癒したつもりだったけど、まだ出てくるー!
夢で見た小2のわたしは、
擦りきれるほどがんばってた。
前の学校では、みんなと仲良しで
学校も、団地の幼なじみたちとの日々も
楽しかった記憶しかないのに、
転校したらすべてがガラリと変わって
変に注目されたりいじめられたり
家が集落と離れていて近くに友達がいなかったり
泣いて「新しい家なんていらない、団地に帰りたい」って訴えてた。
HSP(HSC)のわたしが、感受性が強すぎたことも今思えば大きかったと思う。
学校に行くこと、学校で過ごす時間は
緊張と恐怖の連続でしかなかった。
あの頃、わたしは
お母さんに助けてほしかった。
でも、母にどんなに訴えても
母はわたしの気持ちをわかってくれない。
無視するわけじゃないんだけれど、
本当にタイプが違うので、
してくれること、言ってくれること
どれもがわたしが欲しいものと違ってた。
母も、わたしが言ってることがわからない。
わたしも、母が言ってることがわからない。
通じなくて、苦しい思いをしているのは
今もずっと、繰り返してること。
さらにあの頃、母のほうも
佐久の生活に馴染めなくて苦しんで
病気もしていて体調が悪かったこともあって
感情的に、泣いたり怒ったりが激しくて。
わたしはそういう母がかわいそうで
自分のことは我慢して、頑張るようになった。
「どっちが親だかわかんないね」
よく母の友達に言われたくらい、
わたしは落ち着いた子供だったけど
あれもこの頃からだったんだろう。
「お母さんに助けて欲しい」を
無意識に、わたしは、こんな年になるまで
ずっと、ずっと、繰り返してる。
それに気が付いたら、ほんと
あの時も、あの時も、今も
そうだったんだーって愕然とした。
だからわたしは、自分のインナーチャイルドに
「お母さんに、助けてって言えたよ」
「お母さん、助けてくれたよ」
そう言って、抱きしめました。
めっちゃ泣けた。
すーっと心が楽になった。
母は昔から、
母のやり方で助けてくれてたはずだけど
やっぱりそれは今でも、
わたしの欲しいものとは違ってることが多い。
だけど、形が違うだけで
間違いなく大きな愛情をくれてるのもわかってる。
わかってるけど、やっぱり
わかってほしくて
わかりあいたくて
諦めたり、またチャレンジしたり。
まあ、きっとこれもまたやっちゃうと思うけど
それでも、自分で自分の気持ちをわかって
抱きしめてあげられたことは大きい。
「わかってほしい」を
ひとに求めるのではなく、
誰よりも自分が自分のことを
ちゃんとわかってあげる。
そしてもうひとつ
「お母さんに助けて欲しい」とともに
「お母さんを助けたい」というのも
わたしのなかですごく大きいなーと実感するので、それはまた次回に。
