わたしは基本的に、

曲がったことがだいきらい。


美しくないこともきらい。


無神経なこともきらい。


理不尽もきらい。



もともと、

好き嫌いがはっきりしているほうだし

自分の意見もはっきりしてるほうだと思う。



だから以前は「許せないひと」がいっぱいいました。



なんだかいつもどこか怒ってたなぁ。



そして自分を「正しい」と思ってた。



清廉潔白でも真面目一徹でもなかったけど(笑)

譲れないことがたくさんあった。



そしてそれはいけないことじゃないけれど

今はそれがずいぶん減って、

生きるのがすごく楽になりました。



今も、きらいなものはきらい。

いやなものはいや。

自分の気持ちは大事にしてる。


でも、自分の気持ちは譲れなくても

相手の気持ちは相手のもの

と思えるようになったことが大きいです。



わたしもマル


あなたもマル


いや‥‥アイツにマルはつけたくないわーという場合は

バツではなくて、サンカクくらい。



もちろん、思えないときもあるけどね。

節分の日に軽井沢の見晴し台へ行ってきました。清清しい~!



カウンセリングしていると、

「正しさ」って本当に

100人いたら100通りあるんじゃないかと思う。


だってその人の背景には、

そう感じる理由がそれぞれあるから。



わたしには空は青く見えるけど、

空が赤いという人がいても

それが「間違い」だってどうして言い切れる?



そうなんだー!!

あなたには空は赤く見えてるんだね!!



「間違い」ではなくて「違い」



それが、相手を認めるということだし

本当の意味で自分を認めるということなんだよね。



違いがあるから、人は面白い。


向こうに見えてるのは関東平野



「正しさ」を自分に持てば持つほど、

「正しくないこと・人」を作ってしまう。


正しくないことに、憤る。


憤ってる自分て、幸せ?


ああでも以前のわたしは

憤ってる自分に酔ってたりもしたな~!


「正しさ」で相手を

完膚なきまでに打ちのめすことが

ヒーローだと信じてたから。



「正しさ」は甘美だった。



でも、今思うと

"怒り"は、本当はもともとわたしの奥にあって

それを"目の前の間違った出来事"にのせて

発散していたのだとわかる。


「正しさ」ならそれが気持ちよく出来るから。



わたし、本当は

「わかってほしかった」んだよね。



・・・誰に?



本当は誰にわかってほしいの?


本当は誰に認めてほしいの?




「正しさ」で傷つけた人、たくさんいた。


「正しいわたし」は、窮屈だったね。



でも、そんな頃の自分も今はいとおしい。


自分の心を平穏にする

目の前の現実は、つくづくダミーだ。