え、そこに気づくんだ?って新鮮だった。
冷蔵庫の左右のドアのサイズの違い。
先日、夫に「あれ取って」ってお願いされたんですよ。
「冷蔵庫の左の小さい方の扉にあるやつ」
って言うんです。
で、私は一瞬止まった。
「冷蔵庫の…左の…小さい方の扉…?」
え、冷蔵庫に「扉の大小」とかあるん?(真顔)
私はもう、その言葉を聞いて初めて自分の家の冷蔵庫をガン見したよね。
私:「左の扉」
夫:「左の小さい方の扉」
この違い。
たったこれだけなのに、なんか完敗感あるんですよね。「あ、私、冷蔵庫の表面的なことしか見てなかったな」っていう。
(多分ね、私は今まで扉そのものを見てなかったんですよ。
私が扉に求めているのは「開く」と「閉まる」の機能だけ。だから、サイズなんてどうでもいい)
夫はもう、無意識のうちに特徴(=小さいこと)をインプットして、それを情報として付け足してるわけですよ。
「左の扉にある」じゃなくて「左の、あの、小さい方の扉にある」って。
うう、確かに。
左の冷蔵庫の扉、右の冷蔵室の扉より微妙に小さい。
ていうか、今まで**「左の扉」と「右の扉」**っていう認識しかなかったから、大小なぞ気にしたことなかったし、なんなら「左が小さくて右が大きい」ってことを、この会話でようやく認識したくらいのレベル。(なんかすんません)
私だったら絶対
「左の扉」
って言うだけ。絶対。ドアのサイズまで意識しない。
でも、夫は「左の小さい方」って、無意識のうちに特徴を付け足してるわけですよ。
視点の解像度が違う
これ、本当に面白いですよね。
たかが冷蔵庫の扉なんですけど、こういう些細な表現の違いで、その人がどこを見て生活してるかっていう視点の解像度というか、着眼点が分かるものなんですよね。
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私視点:「左」「右」の位置関係が全て。
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夫視点:「左の小さい方」「右の大きい方」と、サイズの違いまで認識済み。
もしかしたら、彼は冷蔵庫の構造をパッと見た時に、「あ、これは大と小の扉があるな」って一瞬で分類してるのかもしれない。
もしくは、小さい方の扉をよく使うから、自然と「小さい方」という認識が刷り込まれたとか。
私は多分、中の食材しか見てない。扉のサイズなぞ、どうでもいい。
これを仕事とか他のことに置き換えたら、「なるほどな」ってことがいっぱいありそう。
同じものを見ていても、人によって、本当に見えているところが違う。
「左の小さい方の扉にあるあれ」で一発で伝わる夫もいれば、「左の扉」だけで充分理解できる私もいる。
どっちも間違ってないけど、この小さな認識の仕方の違いが、時には色んなすれ違いを生むのかもしれないし、それがまた、人と人が全員同じじゃなくて面白いなあ、と思うのです。
とりあえず、今度、私は夫の前で
「冷蔵庫の右の大きい方の扉」
って言ってみよう。「大きい方ってこと認識してるよ」アピール。気づくかなあ。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!


