言葉、表現する、自分の気持ちを言う、ということが苦手でした。
苦手になった理由や経緯もよく覚えています。
自分の気持ちと合う言葉が出てこない。わからない。
わかる言葉で表現しても、それはちがうんじゃない、こうやったほうがいいと思う。
と、「違う」と判断される。
自分としては精一杯の正解だったとしても。
そのせいか、伝わらないと正解じゃない。と思うところもありました。
伝えようと必死になっていたこともあります。
夫からは、わたしやわたしの家族は自分の思っていることを通そうとする、人それぞれ違うこと言っていい、と言われたりもしました。
自分の中で変化を感じ始めていたころからそうなのか、とその視点を受け入れて同じような事柄がまた起こったときにどう感じるか、を繰り返しやってきました。
小さい頃は言葉なんか知らず、感じるままに声を出していたはずです。
それがだんだんと言葉や、こう言ったら自分が有利になるとか人が喜ぶとか、経験の中でいろいろな言い方を覚えていきました。
そうなってくると、言葉で何とでも言うようになり、言葉が優先されるようになってきました。
それは決まりやしきたりとも似ています。
周りの人の、言っている言葉と心のズレに、ずっとずっと違和感を感じていました。
どうしてウソをつくの?
と、思っていました。
子どものためと言いつつ自分のため。
子や孫のためと言いつつ、自分のため。
それが悪いと言いたいのではなく、
そのウソに気付いてほしくて頑張ってきた時間や労力がすごくバカらしく思えたのです。
自分のためよ。
それでいいじゃないかと。
心を表現するために言葉があるはず。
けれど、きれいな言葉や感動する言葉、誇らしい話や美談。
そこにもっていこうとして心が動いている。
心が合わせようとしている。
100点取れればそれでいい、みたいな感じでしょうか。
言葉に使われている、騙されている感じです。
心を表現するには同じ言葉でも言い方ひとつで全然違うと思います。
たとえ自分と違う言い方、表現をしていても、いいじゃないでしょうか。
その違いが、たくさんの映画や音楽や物語などを生んできたのではないでしょうか。
わたしの家系は優等生が多く、勉強ができないとダメでした。
正解を生きなくてはいけない、みたいなところがありました。
助けられるよりは助ける人、買うより手作り、教えられるより教える人、みたいな、
なんかわかりますか?
いい人、自慢できる人、社会に認められる人、みたいな????
でもそれって、
自分に嘘をついてまでやるほど素晴らしいことなのでしょうか。
なんか、冷めた気持ちです。
目が覚めたような。
自分の中の「言葉」と「心」についてのもやもやが落ち着いてきました。
これが風の時代ってことなのでしょうか。
冬至から始まる12月最後まで。
身体を大事にして過ごしましょう^^
ありがとうございました。