本当は
子ども達のことが心配だった。
でも、ちょっとのことでも感情が大揺れして治まりの遅い自分なので、
感情移入しすぎないように、
怒ってごまかしたり、
知らないフリしたり、
心配で心配でしょうがない自分を守っていた。
心配されることが嫌いだったわたしは子ども達に素直に心配してるって言えなかった。
心配かけちゃいけない、邪魔しちゃいけない。
そんな思いもあったし、
心配させると喜ばない、怒らせる、泣かせる、とも思ったり。
そしていつの間にか、心配もしてもらえない、とも思ったり・・・・
心配に振り回されている自分が苦しかった。
都合のいい時だけ心配されて、「これはダメ」「やめなさい」「これは続けなさい」。
もちろん、自分のいつまでたってもこどもっぽい社会性や、わたしのことを考えて注意してくれていた人もいただろう。
でも、わたしがどう思っているのか聞いてくれる人はいなかった。
失敗してもいいからやりたいのか、ヒマだからやってただけですぐやめられるのか、危険だからやめなさいなのか・・・・
チャレンジはさせたい。
友達と遊ぶことで学ぶことも多いだろう。
でも、連絡もなく遅くなったり、弟を置いてきたりするのは、やっぱり、心配です。
わたしが心配することで重荷になったり制限してしまうのはやりたくない。
でも、だからと言って心配しているのをしてないフリして全部オッケーというのは自分に無理をさせている。
そのバランス、自分のわがままか、愛情か。
それを自分の中で確認していたここ数年だったと思います。
ハプニングがあってもまず落ち着いて、家族を混乱させないように、大丈夫、と。
究極、帰ってこなくても仕方ない。あの子が選んだ人生だから、と。
でも、本当は心配で心配で、どうだったか気になるし、嫌になるくらい元気でいてほしい。
その本当の気持ちを素直に家族に伝えました。
今までは「お前は心配しすぎ」と言っていた主人も「俺もそう思う」、と理解してくれたし、子ども達も、「わかった」と言っていた。
これまでは友達に合わせて過ごしてきた部分が多い。
でも、自分たちのやり方生き方に合わせていくのが、本当の生き方じゃないかな。
心配って言葉も嫌いだったけど、純粋な気持ちで使っていこうと思う。
大切なものを大切にするのは一人ではできないのだ。
家族が大事、こども達やワンコやニャンコや動物たちが大事。
自分の気持ちに知らないフリしないで、素直に生きていこう。