久々にPCから書いています。

 

夏至辺りから体調がすぐれず、ぼんやりとした日々を過ごしています。

 

3年前にも同じようなことがあったらしく、自分のブログに自分が励まされました。

 

 

 

 

 

・・・・・

雄々しく勇敢に”情熱を持って行動しなさい”

 

「怖じ気づいたり、ためらったりしている場合ではありません。

 

内的資源をかき集め、真実の旗印を風にはためかせて果敢に歩を進めましょう。

 

リスクを犯してください。

 

怖いと思うのは構いませんが、それでも立ち止まらないでください。

 

安全策はやめましょう。

 

さもないとチャンスを逃します。

 

意見をはっきり述べ、自らの真実を尊重しましょう。

 

あなたは人々のために灯火を掲げて道を照らす者です。

 

同胞はその規範にならい、勇敢に優雅に自らの真実を見出して、行動に移すことができます。」

 

byセイクレッドトラベラーオラクルカード

 

・・・・・

 

エルアシュールさんのインスタから抜粋しました。

 

「怖じ気づく」というフレーズが目に入って涙が出ました。

 

 

わたしはわたしでいいと自信はだいぶついてきたけど、子どもがちょっと病気になったりいじわるされているのを見ると、なんで・・・とか、わたしの遺伝だ・・・とか、自分を責めていました。

 

もちろん、わたしは母親という立場だし、影響は与えていると思います。

でも、わたしのせいで、というのは、○〇したから○〇、という耳に残っているフレーズを自分のものとしているからでした。

 

耳に残っているのは、「そうじゃない」って、言ってほしいがための、「わたしのせいで」。

自分に注目をしてもらうための「わたしのせいで」。

 

質問しても、答えは自分がしゃべるチャンス。自分の目立つチャンス。

 

なんでもマウントしたり、喜んでもらえることしか見えない。

 

 

わたしのいうことなんて聞いてもらえない、と、かなわない気になる。

そうやって、自尊心というか、小さな勇気というかをもってトライしたことがやることもできずに終わっていく。

 

こども時代って、どうしても親の許可がないとできないことが多い。

それはこどもの不自由さだと思う。

親がこどもがいるからできないと言っているのはこどもだって同じなのだ。

 

 

わたしはこの、自尊心や勇気を取り戻してきたんだと思う。

今のわたしには、話しを聞いてくれる人たちがいる。

わがままで、話しの長くなってしまうわたしのはなしを聞いてくれる人たちがいる。

どんなに暴走しても言葉遣い悪くても、何度も言い直しても、気持ちが落ち着くまで聞いててくれる。

側にいてくれる。

 

だから。

排除しなくても大丈夫。

一生懸命排除しようと、黙っていればいい、言っても無駄、と何度やっても落ちない汚れみたにがっかりしてきた。

 

でも、落ちないものは落ちない。

そのままでもいいし、新しくするか、かわいくアレンジするか。他の方法もある。

 

わたしは成長してきた。

きっと、側に誰かいなくても自尊心や勇気をもって生きていける。

わたしのままでいいのです。

 

 

沖縄はもうすぐ梅雨明け。

軽やかな空気を吸って太陽の光浴びて生きていこう。