ブログ。

日記のように始めたけど、辛かったこととか書いたりが多かったここ数年。

そういうスタンス(辛いことを書く)で書くものになっちゃっていたかも。


でも最近はそういうことがあまりなくなってきました。






GWに、何年か振りに海遊び🌊
ジェットスキーに乗せてもらって、ひさひざに腹の底からキャーキャー叫んで、腹の底から楽しみました。

その日から、何か突き破れたような気がして、いろいろ振り払えています。





いつの間に、わたしは『いい子』になったのだろう。
教えられた『いい子』『いい人』とは違う自分に嘘をついて。


『いい子』って、おとなしくて、年上の人の言う事をよく聞いて、返事をよくして、決まりをよく守って、みんなと仲良くして、礼儀正しくて、反抗しないetc。



それぞれ、絶対に教えられてきて、言われたことがあるはず。




でも、GWに初めて遊んだ家族が、わたしの価値観を海遊びと一緒にぶち破るきっかけをくれました。
全然違う。





子どもが生まれて自分より年下と接することが圧倒的に多くなって、バランスがもっととれなくなりました。




小さい子は守りなさい。
子は宝。




苦しかった。

やってもやっても、そうならない。
こどもがそうならないことが、わたしのせいだと何度も言われた。
お母さん頑張って。
ちゃんとやってますか?
あれもこれもいいからあげなさい。
頑張らなくていいよ。
お母さんが元気じゃないとね。
〜してあげてくださいね。




何で苦しかったのか。

いつのまにか、子どもを『いい子』に育てようとしていたからでした。


『いい子』に育てれば大丈夫なのだと思っていたんだと思います。


そして、子の命を守るためなら、子のためなら、親は犠牲になれ、と言う目に見えない教えを感じていたからです。



子ども優先。子どものために。

自分が子どものとき、こうやって育てられたこのことに恐怖を感じていました。
子ども様になって、こどもが威張って権力を持ったりしたらどうなるんだろうって笑
大人は召使いになるのかって笑笑





でも、それが、GWでぶっ壊れた笑



子どもが大切、大好き。可愛い。
それはとてもよくわかる。
大切な存在。大切にしたい。
汚されたくない。
無事でいてほしい。


でも、たくさんの「前提」が後ろ髪を引っ張り、肩にのしかかり、足には重りがつき、動けなくしていました。


これをやって子どもが危なくなったらどうしよう。
もっとお世話しないと悪くなっちゃう。
こんな言葉を使ったら傷付けてしまうかも…




だけど、GWの家族や先月亡くなったcocoもそうだけど、優等生ロードはたどってない。
けど、cocoはたくさんの人から愛されていたし、GWの家族もキラキラしている。
自分の嫌なことはしないし、自分の好きなことに1番に取り組んでる。

嫌、キライと言うことができる。


子どものために、って、子どもが受け取ってくれるから成り立つものですよね。





小さい子も大人も動物もみんな、平等なはず。

わたしも、「小さい子の方が大切」と言う行動をしてしまったし、そんなことを長女長男にも言ってしまった。妹の方が小さいんだよ!と。長女長男も小さかったのに。



わたしは、心配だから、ケガしたら大変だから、親だから一緒にいるのか?
一緒にいたいからいるんじゃないのか?


わたしが全部守る必要はないし、守れないし、第一に子はわたしのものではないのです。


自分に言い聞かせるように、どっちでもいいいよ、をよく言っています。

自分で決めていいのだと。



役割はそれぞれあって、いろんな役割をやっているけど、やめることもできる。


わたしのもの、なんて何もないのかもなー。






もっともっとシンプルに。


大人だからって、教えなくちゃと思わなくていいし、好きなものがあれば譲らなくてもいい。
小学生と遊ぶと面白い。保育園児と遊ぶのは疲れる。
それでいい。笑



嘘をつくと言葉もめちゃくちゃになる。
テンパってよけいめちゃくちゃになる。
シンプルに、わたし、を感じていこう。