「何をするか」
より
「どう在るか」
言葉の重みとエネルギーを宿す人たち。
言葉によってエネルギーを変えるサイキックな面が出てくるかもしれませんね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
考え方はおばあちゃんだけど、行動は中高生。
そんなアンバランスな自分だけど、
ずっとずっと好きなこと。
それは
本や漫画を読むこと。
長女が小学校に上がってから、朝の読み聞かせ活動がありました。
週1回先生方が朝礼をしている間、当番の保護者が各クラスで本の読み聞かせをして待っておく、というもの。
わたしはその委員(美化委員などどれかの委員にならないといけない)だったのですが、一度も読み聞かせに参加しませんでした。
委員だからと言って当番にならなくてもよい(!)、という委員長のお言葉にうなずいて1年。
もうすぐ委員会の反省会があります。
なぜ参加しなかったか、理由はいろいろあります。
・何の本を読んだらいいかわからない
・流れが見えない
・システムがわからない
・ひとりでぶっつけ本番はハードルが高い
・参加できる方、というものの多くの人に参加してほしいといって、矛盾
・参加してほしい多くの方向けの説明が不足
・やりたい人やってもいい人得意な人がいるのにさせないことに疑問
こういうのは小さいグダグダで、活動自体の改善点だと思いますが、
やっぱり1番大きいのは
音読を聞くのが好きじゃないから。
↑
超個人的理由。(笑)
文字を知ってしまっているので文字を追って、あ、間違えた、とか、抑揚のつけ方でもなんか変わっちゃうので、本に集中できないのです。
その子の本から得る目に見えないものをわたしのイメージを押し付けたくないな、壊したくないな、と思ったりもするのです。
これは、本を読めるようになっている子に対してです。
小さい子は本の内容、とかより、コミュニケーションとして本があると思うので。
1年生だし、自分で読んでもよくない?
親が入るとこ??
なんて思ってます。(笑)
読み聞かせが大事だという方針なら、別の形で時間をとったほうがいいと思うし、読み聞かせにこだわっていないのであれば6年生にやってもらうとか・・・
本が好きで、わたしにとっては癒しの時間でもあります。
まあ、子どもの読み聞かせにちょっとひっかかったことで、わたしの在り方にもつながって。
様子伺いでいろいろ参加してみたけど、なんでもかんでもはいはいと言ってやるのではなく、?と思うことはストップ、やらない、という在り方を示していくことが大事なんだな、と思っています。
読んでくださってる方々、お身体いかがですか?
いつもありがとうございます。
わたしは、試行錯誤、本来の自分を出せるときまで準備がまだまだあります。
ツボを押す練習が必要みたいです。
それも人の(笑)
自分の好きなことを続けていくこと。
それがポジティブな方向です。
ここまで歩んできた自分を称賛します^^