被災地から 子供を失った母親たち 「いつか」を信じて前へ

2011年4月2日(土)08:00

 取材班として追加派遣される前日の3月14日、上司から「希望の持てる記事を期待する」と声をかけられた。それまで報道を通じて見てきた惨状を、今の記者としての実力で伝えることはできるのだろうか。不安はあったが、上司の言葉に胸を熱くした。

 取材初日に出会ったのが、全校児童の約3分の2が津波に巻き込まれ生存が確認されていない宮城県石巻市立大川小学校の柏葉照幸校長(57)だった。

 柏葉校長から、教諭に手を引かれて丘を駆け上がり一命を取り留めた小学生がいると聞き、避難所へ向かった。助かり、ホッとした表情を浮かべているだろう。そう思っていた。しかし様子がおかしい。男児は敷かれた毛布の上で、母親とともに目を充血させ、ぐったりと座っていた。一瞬ためらった後、声をかけた。「救助されたときの様子を…」。すると母親が「私にも話していないことをどうしてあなたに話せますか」と一言。男児は助かったが中学生の兄が遺体で発見されたという。それ以上、何も言えなかった。

 避難所を出たところで別の女性に呼び止められた。「自分より先に子供がいなくなるつらさが分かりますか。子供が一番怖かったときに一緒にいてあげられなかった」。女性の強い口調に、ただ、頭を下げるしかなかった。

 避難所を立ち去る際、ふと振り向くと、降り積もった雪で泥だらけの赤いランドセルをふく女性の後ろ姿が見えた。背中が震えていた。その女性も、津波で子供を亡くした母親だった。

 「生き残った人もつらいですよ」と柏葉校長は言う。ここに、希望はあるのだろうか。取材を進めるにつれ、出発前に東京で思い描いていた記事が書けるのか分からなくなっていった。

 でも、前を向く日が来ることを、被災者の方々は知っていた。ランドセルをふく母親に、別れ際に言われた言葉が心に浮かんでくる。「私たちだって真実を伝えなきゃいけないことは分かっています。でも今は、ごめんなさい」

 復興への道のりは果てしなく長いかもしれない。それでも、母親は「いつか」を信じて現実と向き合っていた。(西尾美穂子)




以上 引用です。


>子供が一番怖かったときに一緒にいてあげられなかった


親は 一生 悔やむ事ですよね。


経験した者通しでないと 慰めることも 励ますことも 出来なくて 


胸が潰れる思いがします。