「飼いならされた日本人よ、もっと怒りなさい!」
これは「それでも人は生きていく」という瀬戸内寂聴さんの本の中の一節です。


それでも人は生きていく―冤罪・連合赤軍・オウム・反戦・反核/皓星社
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「この本は私の遺言である。」と寂聴さんご自身でおっしゃる通り、齢九十、小説家として、僧侶として、一人の女性として、自己と社会に対していつも真正面から対峙し続ける、対峙したいと願い続ける女性の、その数十年におよぶ仕事の断片を集めたものです。冤罪、連合赤軍、オウム、原発・・・どの瞬間も彼女自身であり続ける姿が、自己との向き合い方が、そこから紡ぎ出される言葉のひとつひとつが、断片と書いてしまうにはあまりに重くて、本当は、こんな稚拙な文章で私がご紹介するのがすごくためらわれるのですが。ただ、「『永田洋子』は自分だ。」という生き方を引き受ける、その慈悲、それが、ただただ私には息苦しいのです。


それでも、どうしても書いておきたいことがあります。


「反戦と反核」の章から。
「・・・・・・・
私が心配してるのはね、今の空気が戦時下の、ちょうど昭和十五、六年ぐらいにそっくりなんです。あなたたちマスコミが原発問題をきちんと報じたがらないようにね、そのころもだんだんだんだんメディアが本当のことを言わなくなったの。誰に遠慮するのか知らないけど、次第に書かなくなるのね。そのうち『本当のことを言うな』って命令が出るようになったらしく、それでも本当のことを言えば、牢獄行き。そういう時代にだんだんとなっていったんですよ。

その最初の段階、昭和十五、六年ぐらいが今の感じなのね。これは大変なことだと思います。このまま私たちが黙っていたら、必ずまた戦争になります。」


これを読んでハッとしたのは、いつだったか、高橋巌先生が、全く同じ話をされていたのを思い出したからです。中学生のいじめの問題がマスコミに大きく報道されてた時だったと思うのですが、学校や教育委員会の隠蔽体質、日教組の成り立ちや現状、ニュースでの報道の仕方を例にあげられて、

「今の日本の空気は、戦争に入って行く時のあの感じと、とても似ているように思います」

ということをおっしゃっていたのです。

私は、それは本当のことなんだろうと思います。瀬戸内寂聴さんや高橋巌先生がおっしゃってることは、本当なんだと思います。


とっても、危機。本当はとても危機。
イライラしちゃう。何しようか、私。

今書いたことだって、本当にそうなのかどうなのか疑った方が良い。
私は、自分の不信を最も嫌っている。だから自分を疑う。

愛がどんなに手垢がついた言葉でも、信じてる。だけど疑っている。
人には求めない。私自身に求める。

愛ゆえになしたか。
何が愛であるか、想い続けているか。。。


さて、この本の解説を鎌田慧(さとし)さんが書かれているのですが、その解説の中に、脱原発運動でお話をされた時の寂聴さんとある参加者とのエピソードが描かれています。私は、それを読んで、その情景を思い浮かべた瞬間、ワッと泣き出してしまいました。心の中に、その場面がはっきりうつったのです。そして、とても愛しいことのように感じたのです。


「・・・・その前年、二〇一一年十月、原発事故から七ヶ月たって、京都・丸山公園でも「さよなら原発集会」があった。このときも瀬戸内さんは参加した。
 
会場には大阪の底辺労働者の運動体である、『釜ヶ崎共闘』のメンバーも詰めかけていた。

瀬戸内さんのお話が終わったあと、舞台の下に、日雇い労働者風の老年の男がよろめく足取りで近づき、『質問があります』と右手を挙げて叫んだ。

『ハイ』と瀬戸内さんが応じると、彼は『先生、輪廻とはなんですか』と尋ねたのだ。

残念ながら、このとき、瀬戸内さんがどのように答えたかは、つぶさに覚えてはいない。来世について語ったような気がするのだが、それよりも、わたしは古代ギリシア風半円形の野外音楽堂の、壇上の端まで歩み寄った法衣の寂聴師とその真下で、彼女を尊敬の眼差しで見上げている、日雇い労働者のまっすぐな視線が相まじわる空間を、一服の宗教画のように眺めていたのだった。・・・・・」


この労働者は私なんだ。だから、とても愛しいんだ。