一昨日、昨日、そして今日も16時から、浅草で舞台観てます。

「SPIEL/シュピール・遊戯」。
笠井叡先生と、エマニュエル・ユインさんのデュオ。
エマニュエルさんは、フランス国立の振付センターの
芸術監督をされてた方で、フランスの現代舞踊の第一人者。

ちょっと、感想を書きたいんだけど、
書きたい気持ちだけで、書けない、、

まだ、私自身がこの数十時間「観てる」状態なので、
感想というか、自分のカラダの状態を上手く表現できないんですが、

1781年に天王星が発見されたその瞬間、かな、
(その瞬間を私たちは、実際は体験してないわけですが)
きっと、星が誕生する時って、こういう感覚が人間の中で起こるんじゃないかな、
ということを感じながら観てます。

で、天王星ね。

ダンスの中での、エマニュエルさんの女性的なおおらかさやしなやかさと、
野生的で、かつ知的な力強さの移り変わりの中には、
たしかに何かこう、言葉にはしがたい「励まし」のような強さがあって、
天王星って、「切る」ばっかりじゃないないんだな、ってあらためて思った。

天王星、というか、水瓶座、一つの意味としては、とても「切る」でしょ、風の理性で。
一方で、この水瓶座的意識は、言葉の共鳴を持って、あらゆる壁を突破する力にもなって、
空間を超えていける。その時、言葉の意味が破壊される。

ちなみに、時間を超えて行くような感覚は海王星や冥王星でしょうね。
海王星は時間を融かす、冥王星は反転させる。

ダンス自体は、天王星だけじゃなくて、こういう土星の向こうの天体感覚を、
ダンサーと観客がその場で体験するんだと思いますが、

今回の舞台に関して言えば、とても天王星的。

カラダも言葉も、天王星的な危うさがあるというか、楽な感じではないわけ。
土星と天王星の間には、とても強固な扉があるわけだから。
意識の殻というのかな、個人を個人に閉じ込めておく皮膚みたいなもの。
天王星的不整脈。

私は、色々観念的なので、こういうの、わかったようなわからないような感じできましたが、
カラダが変化すればこういうのが言葉になるんだ、という確信を最近持ったので、
感じて、書いて、話してのくり返しするんだと思いますが、

とにかく、天王星的な舞台観ると、
自分の天王星がドクドク、キラキラするわけよね。

私は、大杉栄でも忌野清志郎でもなく、ごく普通の女なわけで、
女性として、女性的に世界に向き合うしかないんだと思いますが、
天王星に意識的であることは、どんな瞬間でも選びとる自由を持ってる。
(実際は、この自由は最初から持ってなくて、求め続けるわけだけど)


私の天王星は、あの、肉眼では見えない天王星、でもあるのよね。

そして、同じ星を、みんなカラダの中に持ってる。

みんな持ってる。

だから、すべての人のカラダは、あの漆黒の夜空のように美しい、のよね。