マクロコスモスとミクロコスモスが、
音や図形や数の響き合いのように、
反応「し合ってる」ことは、

私にとっては、私の本能が「然り」というわけだけれど。

それで、
そのことに深く入れば入るほど、
生きれば生きるほど、

なんて、世界は未知で、自分は未知で、カラダは未知で、意識は未知なんだろうと感動する。

未知の中から生まれる「発見する喜び」に勝る高揚感を私は知らないし、これから先も私にとっては唯一かもしれない。

発見する喜びは、「わかる喜び」と言い換えても差し支えない。

私にとっては、「あなたを愛する」ことも同義だ。

前よりちょっと賢くなるとか、優しくなるとか、そんなことも。

なぜなら、私にとって「発見する」喜びは、いつも何かを「受け入れる」時にやってくるから。

逆に言うと、反感や反発を持ってる状態の時は、
本質を取り違えることが多く、喜びもないように感じる。

さっき、コンビニで、チーズケーキを買うか、プリンを買うか迷って、
プリンを買った。

いつも、そんなとき、

「プリンを選んだ」っていう、天体の配置が、あるいはカラダの状態が、
または、だれかの思いが、

どんな風にからみあって、どんな感じで響き合ってるのか、ということを考える。

で、こういうこと、以前は正しい答えがあると思っていましたが、
最近は答えがあってもなくても、
もうそんなことはどうでも良いことのように考えるようになりました。

考える状態を継続してること、
マクロコスモスとミクロコスモスの照応に、ただひたすら意識を向けてることが、自分の仕事なんだなと。

天と人を響かせる中心であると、認識していること。
日常の意識の中にそれを持ち込み続けること。

「自分自身でいること」以外に、
自分にできることはない。
それだけが唯一無二の優先事項。

社会人として真人間でありたいとは思いますが、
「自分自身でいること」以外に重要なことは、私にはないように思う。

すべての人が、その人自身にとって、「自分自身」だといいと思うし、
それを「受け入れられる」自分を、
いつも発見できるといいなと思う。