シュタイナーの霊的宇宙論から。


私たちの行うすべては、ただちに霊界にもその作用を及ぼします。誰かが水晶か金塊を眺めているとします。そのとき一体何が生じるでしょうか。そのとき、封じ込められた四大存在とその人との間で、絶えざる相互作用が生じるのです。

知覚活動を行うときはいつでも、一群の四大存在たちが、周囲から皆さんの中へ入ってきます。

考えてみてください。

周囲を眺める誰かが、事物の霊について自分の魂の中に何も感じとろうとしなかったら、どうなるでしょうか。

自分にかまけたり、安易な態度をとったりして、思考も感情も働かせずに、いわば単なる傍観者として生きているとしたら、どうなるでしょうか。そのときも、四大存在たちがその人の中に入っていきます。

しかしその人の中で、ただ外から中に入るという宇宙過程を辿る以上のことをすることができないのです。

けれども、誰かが、外界の印象を深く心に受けとめ、宇宙の根底に働いている霊的存在たちに思いをいたすとしましょう

一片の金属を、ただ眺めるだけでなく、その姿について考え、その美を感じ、印象を深めるとします

その人は何をしているのでしょうか。

その人は、そうすることで、外界から自分の中に流れ込んでくる四大元素を救済しているのです。封じ込められた状態から四大存在を解放して、かつての状態に送り返すのです


(以上、『霊的宇宙論/ルドルフ・シュタイナー/高橋巌訳』から引用。)


西洋神秘学では、物質界はすべて、四大元素に還元されると考えます。

四大とは、「火」「風」「地」「水」の四つですが、
これは、占星術でもタロットでもそのベースとなるものの見方です。

この四大は、今日考えるその言葉より、もっと広義で、精神的な言葉になります。

例えば、「水」という時、これは、分子式H2Oで表される「水」だけでなく、
「あらゆる流動物」は「水」だと考えます。

一方で、例えば、「地」は何かが「固体である状態」ですので、
すべての固まったものは、精神的には「地」と呼びます。
「水」が希薄になって気体になると「風」になります。

「火」について、今日の自然科学では、火は物体ではありませんが、
精神科学的な立場に立ちますと、「火」は「風」よりもさらに精妙な物質であると考えます。

この「火」は、他の3つの元素と少し様子が違って、他の「風」「水」「地」に浸透すると考えます。

火が風に浸透すると、空気が温かくなります。水や地に対しても、同様です。

さらに、私たちの知覚についても、「火」だけは特別です。

他の3つの元素は、基本的に、触れることによって知覚することができますが、
「火」だけは、内的にも存在を確かめることができます。

「感動して胸が熱くなる」という経験がある方はわかると思いますが、

その内的な熱が「火」です。


このことを、神智学では「火において、物質は魂になりはじめる」と語ります。
神智学で、物質は濃縮された火だと考えます。

シュタイナーは、
「神的存在たちは、火の中に生きている四大存在たちを地・水・風の中に閉じ込めたのです。」
という言葉で物質を語ります。

物質の中には、かつて火の中で自由に生きていた精霊が閉じ込められている、
そして、それを自由にするのは、人間だと言うんですね。

冒頭で引用したように、
「ただ眺めるだけでなく、その姿について考え、その美を感じ、印象を深める」
ことで、私たちは、この火の中の精霊を救済しているという言うのです。



多くの人にとってはファンタジーかもしれない考え方ですが、

「ものを見る」ってそういうことなんです。


なにかを、よく見て。

よくよく見て。


なにかの、美しいところみつけたら。

なにかが、つかめたら。

胸があったかくなりませんか。


そのあったかさは、

事物に閉じ込められた精霊たちが、自由になった証。

私と事物が接続したってこと。



私たちは、

一瞬一瞬、神様の作った世界を、一生懸命「見る」ことで、

愛情を持って見ることで、

その美しさを賛美することで、

神様の使者である精霊に自由を与えているのです。


なにかに感動するとき、その対象が生命を取り戻している。



だから、「ものを見る」は尊くて、神聖なんですよね。

ありがとうございます。。