金賢姫が見た金正恩 | 世界と日本の真実

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金賢姫が見た金正恩
「彼は弱いから虚勢を張る」


黒田 勝弘
2018/05/03 07:00


2017年11月、大韓航空機爆破事件(KAL機事件)発生から30年の節目を迎えた。55歳となった金賢姫元死刑囚は、今何を思うのか。当時から事件の取材を続けてきた黒田勝弘・産経新聞ソウル駐在客員論説委員が迫った。(「文藝春秋」2017年12月号)
◆ ◆ ◆
金 ご無沙汰しております。今日は、懐かしい写真を2枚持ってきました(と言ってバッグから取り出す)。



黒田 これは懐かしい(写真裏の日付は1990年6月20日)。金さんが事件から3年後、はじめて外国人記者団に向けて記者会見を行った日に撮影された写真ですね。こちらはマイクに向かって喋っている金さん。もう1枚のほうは、人差し指を立てて質問している私が写っていますね。あの日、「あなたは日本語が上手だと聞いているが、次の質問は日本語で答えてほしい」と私が韓国語でお願いすると、金さんは「あのォ」「それでですね」などと、実に自然でこなれた日本語を披露されました。
金 いやあ……そうでしたかねえ。
黒田 あの事件から今年(2017年)11月がちょうど30年ということで今回はインタビューを御願いしましたが、韓国語、日本語、どちらでやるかを事前にお尋ねしたところ「日本語でやりたい」と言っていただきました。相変らずお上手ですが、今も日本語の勉強はなさっているのですか。
金 いいえ。日本語を聞く機会は普段ありませんから、単語などは結構忘れちゃっていて。勉強というほどではありませんが、日本語の本を読むことはあります。村上春樹さんの小説は好きですね。

30年は本当に長かったです

黒田 しかし、こうして写真を見ると、金さんは当時、ふっくらとした顔でしたね。それが最近は、お痩せになったように見えます。これまで大変な気苦労やストレスがあったせいではないかと心配です。
金 大丈夫です。私は元々、太りにくい体質なのです。でも、ストレスがなかったと言えば、嘘になるかもしれません。
黒田 30年という歳月は、長かったですか。それとも、あっという間でしたか。
金 本当に長かったです。振り返れば、辛い出来事ばかりでしたから。かつての私は、自分が「革命戦士」だと信じていました。祖国を統一するため、テロの正当性を疑ったことはなかった。しかし、実際は、無辜の人々の命を奪ってしまっただけでした。その事実が消えることは決してありません。あの事件は一生背負っていかなければならない十字架だと思っています。

“北の訛り”が出てきている

黒田 (逮捕後)韓国に連行された後、1カ月足らずですべてを告白しました。どの瞬間に「もう駄目だ」と思ったのですか。
金 最初は教育された通り日本人や中国人のふりをしていました。でもすぐにボロが出る。「日本で使っていたテレビのメーカーは?」と尋ねられて、「チンダルレ(北朝鮮のテレビメーカー。ツツジの意)」と答えたり、中国北部の黒竜江省出身と言っているのに、南部の広州の言葉でしゃべったり。
 でも、告白した最大の理由は、韓国が、北で教えられていた国とまったく違ったからです。北では「南朝鮮の人々は酷い生活をしている」と頭に叩き込まれていました。ところが、韓国の人々は生活が豊かで言論や思想の自由が保証されていた。見るものすべてが新しかった。そして、確信したのです。金日成の教育は嘘だ。間違っている。私がやったことは祖国統一の助けになるどころか罪なき人民の命を犠牲にしてしまっただけなのだ、と。
黒田 すべてを告白すれば北に残してきた家族に危害が加えられてしまう、と心配にはなりませんでしたか。
金 もちろん心配でした。私のせいで、家族は追放され、殺されてしまうかもしれないとまで覚悟しました。外交官だった父、そして母、妹、弟……。
黒田 今、家族についての情報はあるのですか。
金 消息はまったくわかりません。でも、30年も経っていますから、両親は亡くなっているのではないでしょうか。生きていれば80歳を過ぎています。栄養状態が悪い北では長く生きられませんから……。

やはり家族は懐かしいし、会いたい

黒田 近頃とみに感じるのですが、北より韓国での生活が長くなったのに、言葉に“北の訛り”が強く出ている気がします。齢(とし)を取ると元に戻るんですかね。
金 今はもう自分を偽る必要が無くなって久しくなりましたから、自然と生まれ故郷の言葉が出ているのかもしれません。それに加えて現在、私が住んでいるところ(慶尚北道)の言葉が父の故郷(咸鏡道)のアクセントに似ていることも原因の一つかもしれないです。
黒田 家族に会いたいでしょうね。
金 現在の北に行きたいと思うことはないですが、やはり家族は懐かしいし、会いたい気持ちはあります。
 10年ほど前、よく夢を見たんです。なぜか私はお葬式に出ている。誰のお葬式なのかは分からないのだけど、きっと父のお葬式――。夜中にビックリして起き、父のために祈りました。いつか、もし北の体制が滅んで、統一が成され、北と南を自由に行き来できるようになったら、昔家族と住んでいた平壌の街に行ってみたいと思います。

早く死んで終わらせてほしい

黒田 法廷に立たされて1989年に一審で死刑判決を受けた時はどのような心境でしたか。
金 あまりにも大きな罪を犯しましたから、死刑への恐怖はありませんでした。「早く死んで終わらせてほしい」とばかり考えていました。
 何よりも辛かったのは、法廷で遺族を間近に目撃して、彼らの悲しみの叫びを聞いた時でした。「私の息子を返せ」「私の夫を返せ」「一緒に死んでやる」……こんな私が生きていて良いはずがないと思っていました。
黒田 ところが、その翌年、盧泰愚(ノテウ)大統領の特別赦免(特赦)が出て、金さんの死刑執行は免除となりました。金さんはいわば「北の国家テロの生き証人」として生かされることになった。
金 再び生き返ることが嬉しくもあり、このまま生き残る自分が惨めでもあり、これから罪人として一生を過ごしていくことに暗澹たる思いがありました。
 しかし、私に出来ることは何かを考えました。そして、1991年に『いま、私は女になりたい』(邦訳版は 『いま、女として─金賢姫全告白』 文藝春秋)という本を書き、印税はすべて遺族に差し上げることにしました。どうお詫びしても、いくらお金をあげても、解決できることではありませんが、私に出来るのはこれくらいしかありませんでしたから。
黒田 その後、遺族と接触はありましたか。
金 事件からちょうど10年後の1997年12月末に、はじめて直接遺族の皆さまとお会いしてお詫びを申し上げました。直接お会いするまでに10年という歳月がかかってしまったのです。
黒田 当時、金さんの“告白”によって、日本にも思わぬ余波がありました。著書をはじめ北朝鮮の実態についてさまざまな証言をしたことで、日本人拉致問題の真相の一端が明らかになったのです。特に、金さんに「日本人化教育」を施した李恩恵という存在が分かったことは極めて大きな出来事でした。李恩恵は、1978年に拉致された田口八重子さん(失踪当時22)だったからですね。
金 私は工作員として訓練を受けていた1981年から約1年間、李恩恵先生こと田口八重子さんと2人で生活していました。日本人としての立ち居振る舞いは、すべて田口さんから学びました。思い出もたくさんあります。石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」などの流行歌を一緒に聴いたり、夜中に“自由主義”と言ってこっそり2人で招待所を抜け出し街に出かけたり……。
黒田 金さんの日本語の喋り方は、きっと田口さん譲りなのでしょう。

横田めぐみさんが歌った「君が代」

金 実は、私は1984年頃、横田めぐみさん(失踪当時13)にも会っているんです。
黒田 そうでしたね。
金 会った当時は、彼女が日本人だということは分かっていたけれど、「横田めぐみ」という名前は知りませんでした。しかし、2006年に横田さんの夫・金英男(キムヨンナム)氏が記者会見を開いた際、横田さんの写真がニュースで取り上げられ、それを見た時に「会ったことのある人だ」と確信したのです。
黒田 どこで、横田さんに会ったのですか。
金 金淑姫(キムスクヒ)という同年代の工作員仲間の「日本人化教育」の先生が横田さんだったのです。1984年頃、もう淑姫は横田さんとは一緒に暮らしていませんでしたが、懐かしがって会いたがっていたので、私と淑姫は密かに横田さんの暮らす招待所に会いに行ったのです。久しぶりに会って気まずくて黙りこくっている淑姫を見て、横田さんが「歌を唄いましょう」と言ってくれました。彼女が歌ってくれたのは、「君が代」でした。
黒田 田口さんは1986年頃に交通事故で亡くなり、横田さんは1994年に自殺したと、北は発表しています。これをどう思いますか。
金 2人とも生きていると思います。2002年に小泉純一郎首相(当時)が訪朝して金正日総書記(当時)と会談し、5名の拉致被害者が帰国した時に、北は田口さん・横田さんを「死亡」としていたけれど、私は「嘘だ」と確信しました。田口さんも、横田さんも、死亡の時期や理由の辻褄がまったく合っていませんから。北の言葉は一切信用できません。
黒田 なぜ、北は2人を亡くなったことにしたいのでしょうか。
金 北は、金日成一族の秘密を知っている人は帰国させたくないのです。田口さんも横田さんも招待所で工作員の教員をやっていました。横田さんは金一族に日本語を教えていたと聞いたことがあります。国家の秘密を握った人だと認定されているのです。
黒田 2010年7月、民主党政権時代に日本政府の招待で初来日され、拉致被害者家族と面会していますね。
金 暑い夏の日でした。軽井沢にある鳩山由紀夫元首相の別荘で、拉致被害者の家族にお会いしました。横田さんのご両親や田口さんの息子さんの耕一郎さんたちと会い、一緒に料理を作り、本当の家族のようになりました。私に出来ることは、自分が知っている情報を伝えることと「希望を失わないで」と励ますことだけですが、心から彼らの力になりたいと思っています。
 実は今年7月に行われた都議会議員選挙の前に「小池百合子東京都知事と拉致問題について対談ができないか」と彼女の事務所から申し入れがありました。
黒田 えっ、それは本当ですか?
金 こちらはOKでしたが、結局立ち消えになり、実現しませんでした。小池都知事も拉致問題には関心があるようです。私は日本人拉致問題の解決のためには、とにかく力になりたい。今後も、要請があればどんなことでも協力したいと考えています。

突如出てきた“金賢姫ニセ者説”

黒田 事件以後、最も辛かった時期はいつですか。
金 2003年〜2008年の盧武鉉(ノムヒョン)政権時代は精神的にも生活的にも最悪の時期でした。
黒田 やはりそうですか。少し解説しておくと、1990年代に入り、いわゆる民主化によって韓国では「北の脅威論」が大きく後退しました。そして、北へ宥和的な「太陽政策」を掲げた金大中(キムデジュン)大統領(1998年〜2003年)の後を継いだ、左翼色の強い盧武鉉大統領の下では、これまでの保守政権下で起こった政治的出来事の評価をひっくり返す動きがおこります。

 KAL機事件や金賢姫さんも再検証の対象にされました。“親北”左派政権にとっては、都合の悪い存在ということですね。そこで「真実・和解のための過去史整理委員会」という政府機関を設置し、真相糾明と称し、KAL機事件の韓国政府謀略説や金賢姫ニセ者説などをさも意味ありげに取り上げたのです。


韓国メディアもこれに便乗し、準国営のKBSをはじめテレビ3局は「KAL機事件の“謎”と“真相”」などと題する特集番組を競って放映し、まるで北朝鮮の意向を受けたような“金賢姫つぶし”キャンペーンをしましたね。


金 国情院(国家情報院)の調査員が「再調査に応じなさい」と何度も自宅を訪ねてきたり、「あなたの自宅に届くミルクには毒薬が入っているかもしれない」と脅迫されたり、当時、ソウルにあった自宅の住所が流出してテレビ局のクルーが毎日のように押し寄せてきたり……。私は、左派による保守派への攻撃材料として使われていたのです。
 まともな暮らしは出来なくなり、ソウルを逃れ、夫の実家がある地方都市への引っ越しを余儀なくされました。“避難生活”はもう15年になろうとしています。


黒田 その後、李明博(イミョンバク)大統領(2008年〜2013年)、朴槿恵大統領(2013年〜2017年)と保守政権が続きましたが、状況は変わりましたか。


金 2008年、私は自分が受けた迫害の実態を嘆願書にして政府に送り、この身に起きた出来事を手記にしたためて発表しました。国情院の院長にも面会し、“ニセ者説”が意図的に流布されたことも認めさせましたが、結局、迫害の責任については有耶無耶(うやむや)にされてしまいました。



私は争点になり続ける運命なのです



黒田 今年、文在寅左派政権が誕生しました。彼は盧武鉉大統領の最側近でした。心配はありませんか。


金 さすがに“ニセ者説”の再燃はないでしょうが、文在寅政権の思想は、盧武鉉政権と根底で繋がっていると思いますから、盧武鉉政権による私に対する“工作”の事実は絶対に認めないでしょうね。左派と保守派の戦いは延々と続いていくでしょうが、私はその争点になり続ける運命なのです。


黒田 日常生活はどうですか。依然、不便でしょうね。
金 そうですね……。でも今は穏やかに暮らしていますし、子どもたちも無事大きく育ってくれました。


黒田 お子さんたちはいくつになりましたか。


金 上の男の子は高校2年生、下の女の子は中学3年生です。2人とも学校で第二外国語として日本語を勉強していて、たまに私が教えてあげたりもしています。思春期の子どもは本当によく食べるから、今の私は毎日、料理することで精いっぱい。食卓にお肉が並んでいないと、「食べる物がない」と言うんですよ(笑)。


黒田 非常に聞きにくいのですが、子どもたちは、お母さんが誰であるかということは知っていますか。


金 ――まだ知らないんです。今まであえて話してきませんでしたし、訊かれることもありませんでしたから。でも、時々北朝鮮の情勢について講演することもあるので、
子どもたちは、薄々「お母さんは北に詳しいし、家族がいるのかな」と推察しているみたいです。
 いつかは話さなければいけませんよね。でも、今は2人とも受験勉強が大変だし、2人が大学生になって落ち着いたら、すべてを明かそうと考えています。



血気盛んな性格が現状を生んでいる



黒田 30年間で、北も大きく変わりました。指導者は金日成、金正日、金正恩と代替わりしています。3代目の金正恩は、国際社会でトラブルメーカーのような扱いを受けています。今の北を見て何を感じますか。


金 私が北にいた頃は、庶民の生活は貧しかった一方で、政治的には金日成も金正日も生きており、物事の統制は取れていた気がします。ですが、金正恩は不安定に見えます。若くて経験がない上に血気盛んな性格が現状を生んでいるように思えます。


黒田 核やミサイル開発を急ピッチで進めており、アメリカとも熾烈な言葉の応酬をしています。戦争前夜のようだとの指摘もあります。金正恩は戦争を覚悟しているのでしょうか。


金 金正恩が核の開発をなぜ急ぐかといえば、自分の足元が政治的に不安定だからこそ、先進国と対等に交渉できるカードが欲しいのです。金正恩は本気で戦争を望んでいません。
彼は若い時にスイスに留学しているので、平壌の街をヨーロッパ風にするべく、飾り立てています。戦争を始めるということは、
自分が作り上げた平壌の街を破滅させることです。
そんな選択はしないと思います。また、大袈裟で激しい言葉を使いたがるのは北ではよくあること。弱いからこそ虚勢を張る。真に受ける必要はないでしょう。


黒田 さらに来年は、韓国では平昌(ピョンチャン)冬季五輪が開催されます。KAL機事件は
「ソウル五輪を阻止するため」という名目で企てられたテロでした。再び、北によるテロが起きるのではないかと心配する向きもあるのですが。


金 今と昔では韓国と北の関係が異なります。当時は、まだ北と韓国はある種の競争関係にありました。ソウル五輪で圧倒的な差を付けられるのは避けたかった。
それを妨害するためにテロを行ったわけです。平昌五輪はそこまで重要視されていない。狙われる危険は高くないと思います。むしろ、現在の北が意識しているのはアメリカなので、アメリカ人やアメリカに関係する何かはあるかもしれません。



心の支えは何だったのか?


黒田 ところで金正恩は国内では恐怖政治を展開しています。2013年には父・金正日の妹婿で事実上の“ナンバー2”張成沢を処刑し、今年2月には異母兄・金正男をマレーシアの空港で暗殺してしまいました。


金 金正男暗殺の一報に触れた時、「工作員のテロだ」と確信しました。しかし、白頭山(ペクトゥサン)血統(ロイヤルファミリー)までもテロの標的としたことは驚きでした。
金正男は金正恩の競争相手だったし、張成沢の支援を受けていたとも言われていますから、何としてでも消したい存在だったのでしょう。金正恩の焦りを感じました。


黒田 そういえば、今日、金さんへの警護が増えていますね。これは金正男暗殺と関係ありますか。


金 1990年に特赦を受けて以降、私には外出の際には必ず2〜3人の警察による警護が付いていたのですが、金正男暗殺の一件があってから、人数が5人に増えました。
彼らが所持している銃も強力なものに変わっています。金正男暗殺に使われたVXガスへの対応もしているようです。ショッピング、街へ出る時、旅行……いつも一歩家を出た瞬間から警護の方とはずっと一緒です。


黒田 大変ですね。これは北の体制が崩壊するまでは続くんでしょうね。


金 もう慣れています。いつ暗殺されるか分からない身だということは、罪人として生かされたあの日から運命として受け止めています。不便なこともありますけれど、守ってくれるわけですから、ありがたい限りです。

黒田 この30年間、精神的にも肉体的にも大変だったと思います。それでも、こうして気丈に振る舞っている金さんの一番の心の支えは、何だったのでしょうか。



金 死刑判決を受けて、赦免され、私は大韓民国の国民になりました。北の工作員・金賢姫は一度死に、テロを世界から無くすため、北の蛮行を明らかにするため、私は「生き証人」として、生き返ったのです。
 世間から「金賢姫はニセ者だ」と言われていた2003年頃は、正直に言うと、死んでしまいたいほど苦しくて辛かった。でも……(絶句。涙ぐみながら)仮に私が自殺して、この世から消えてしまえば、それこそ北の思うツボです。自分自身が「ニセ者」だと認めてしまうことになってしまう。

しかし、私は本物です。

この手でKAL機を墜落させた北の元工作員です。その真実が変わることはないのです。これからも、身が引き裂かれそうに苦しいことがあっても、私は十字架を背負って生き続け、北と闘いぬかなければいけない。それが、命ある限り、自分に課された役割だと思っています。


(「文藝春秋」2017年12月号)


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