天皇と朝鮮 天皇陛下の血にはエベンキ族の血は入っていない | 世界と日本の真実

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天皇陛下の血にはエベンキ族の血は入っていないことを日本人は知るべきです。


天皇と朝鮮半島の関係


https://www.facebook.com/god.blessyou79さんからの転載です

------- 転載 ------



【大拡散希望】


 皆様、天皇陛下の韓国への御心使いは国体を滅ぼす可能性が出てきました。


国民の皆様、「帝」には捏造された韓国と日本関係の歴史知識が上奏されています。こちらのヴィデオ必見です。よく読みたいときはPauseをしてしっかりお読みください。


↓↓↓由々しきことです。 日本人がまず事実を知ることが重要です。


https://www.youtube.com/watch?v=dmkRfkZ6ZVE




天皇のゆかり発言と帰化人の出自詐称と武寧王の出生の秘史

日本と新羅・高句麗・百済の最大墳墓比較  こちら、FBF のFumiaki Matsuoka様がわかりやすく解説されているものをシェアさせていただきました。


このヴィデオで一見してわかるように、仁徳天皇稜と朝鮮半島にあるそれと比べると明らかに倭人の力が比較にならないほど勝っていたことがわかります。

{古代の朝鮮半島が「和人の国」であったことを御存じですか。
日本人は朝鮮半島経由で日本に流れ着いた民族と思われていますが、朝鮮半島は無人の荒野だったことが判明しました。、}まったく逆で倭国が著しい影響力を持っていたのです。朝鮮半島からというのは捏造だということが遺跡その他の資料からわかります。



重要な事実。新しい事実(稲作などが日本の方が朝鮮半島周辺より早い等)発見等から、現在では縄文・弥生それぞれの時代の移動経路は南方から日本列島経由で北方・半島へ移動したと考えられるようになりました。(日本と欧米の研究の一致)


御意。韓国がルーツだったら、国民から讃えられることも無かったろうね。
これが、日本の賢帝、聖帝です。絵便器族とはまったく品格も違います。
聖帝・仁徳天皇  民のかまどは賑いにけり

http://www.rekishikaido.gr.jp/time-trip/kaido/kdsakai.htm


仁徳天皇の四年、天皇が難波高津宮から遠くをご覧になられて
 「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」
 と仰せられ「向こう三年、税を免ず」と詔(みことのり)されました。それからというものは、天皇は衣を新調されず、宮垣が崩れ、茅葦屋根が破れても修理も遊ばされず、星の光が破れた隙間から見えるという有様にも堪え忍び給いました。
 三年がたって、天皇が高台に出られて、炊煙が盛んに立つのをご覧になり、かたわらの皇后に申されました。

 「朕はすでに富んだ。嬉ばしいことだ」


 「変なことを仰言いますね。宮垣が崩れ、屋根が破れているのに、どうして富んだ、といえるのですか」


 「よく聞けよ。政事は民を本としなければならない。その民が富んでいるのだから、朕も富んだことになるのだ」天皇は、ニッコリされて、こう申されました。


 そのころ、諸国より


 「宮殿は破れているのに、民は富み、道にものを置き忘れても拾っていく者もありません。もしこの時に、税を献じ、宮殿を修理させていただかないと、かえって天罰を蒙ります」
 との申し出が頻頻とあるようになりました。


 それでも、天皇は引き続きさらに三年間、税を献ずることをお聞き届けになりませんでした。六年の歳月がすぎ、やっと税を課し、宮殿の修理をお許しになりました。その時の民の有様を「日本書紀」は次のように生き生きと伝えている。


 「民、うながされずして材を運び簣(こ)を負い、日夜をいとわず力を尽くして争いを作る。いまだ幾ばくを経ずして宮殿ことごとく成りぬ。故に今に聖帝(ひじりのみかど)と称し奉る。みかど崩御ののちは、和泉国の百舌鳥野のみささぎに葬し奉る」

http://open01.open2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1394350457/




現代朝鮮人は中国人の亜種で、日本人と関係ないことが判明




日本人と韓国(朝鮮)人のY染色体の種別構成比を比較してみると,おかしな点が有ることに気付くべき。(中略)
まるで,朝鮮半島で一度人種の大量絶滅が起きたかのよう。むしろ,現代韓国(朝鮮)人の遺伝子は,半島周辺の中国河北人や
ツングース系民族やモンゴル人や満州人とたいして区別がない。




つまり,元々朝鮮半島に住んでいた筈の,(遺伝子構成比が複雑な)現代日本人の元になった祖先の部族は
,半島で一度全て絶滅し(或は絶滅させられ),それにとってかわって周辺国に住んでいた
中国河北人やツングース系民族やモンゴル人や満州人が半島に雪崩れこみ住み着いたと理解した方がすっきりする。
・・・しかしながら、Y染色体研究(東アジア・東南アジア含め)が更に進展したことや、
新しい事実(稲作などが日本の方が朝鮮半島周辺より早い等)発見等から、
現在では縄文・弥生それぞれの時代の移動経路は南方から日本列島経由で
北方・半島へ移動したと考えられるようになりました。(日本と欧米の研究の一致)
人の移動経路


http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/012_4Y_chromosome_no_kennkyuu.html


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1484189179


アジアにおけるY染色体の系統地理学は、アフリカ起源の現生人類が最初、東南アジアの大陸部に定住し、それから約25,000~30,000年前には北方へ移動し、東アジア全域に広がっていったことを、これまで示していた。
 しかしながら、このようなシナリオでは、東アジアに特有のY染色体系統(すなわちD系統ーマーカーM174)が、チベットと日本列島およびアンダマン諸島にだけ、高い頻度で見出されるというような分布の断片化を説明することが出来ない。



朝鮮人においては最も古いD系統やC系統が無く、O3/O2b*がほぼ全てなので、
後から来た民族に在来の民族が消滅・追放させられたと考えるのが普通だと思います。
(半島南部の済州島と周辺に僅かに残るC系統はもともとどの民族のモノでしょうか?)

朝鮮人は自分たちの起源を3世紀ごろの新羅といったり、ツングース系(南・東アジア→北アジア→東アジアに移動した民族)の高句麗と言ったりします。

そもそも紀元前に存在した諸民族は何系統のY染色体が多い民族で、その後の韓人(現在の朝鮮人とは異なる)や中国からの帰化はどの様な扱いになっているのでしょうか?

特に百済の支配層にのみ居たツングースや過去の朝鮮人の支配域と異なる高句麗のツングースを朝鮮人とするのは些か無理があるように思います。

本人らにとってはデリケート問題ですので、朝鮮人(韓国人)の方は朝鮮民族の中での認識、日本人からは出来るだけ客観的な情報が知りたいです。(特にどの時期に遺伝子がほぼ今の状態になったかなど)



結論から言うと今の日本人・中国人・朝鮮人になったのは
日本人が弥生時代、中国人は地域ごとに今でも遺伝子がかなり違う為成立時期は一概に語れません。朝鮮人は10世紀(13世紀には成立)頃です、ただし女真族が李氏朝鮮を建国した頃とするなら14~15世紀です。



最もY染色体研究の進んでいる欧米では、日本人の祖先は縄文・弥生共に南方の沖縄・東南アジア・台湾等を経由し日本列島に到着し北東アジア・北アジア・北アメリカに拡散したとされています。

これに対し日本の研究では、まず縄文・弥生共に北方移動したという説が20世紀に立てられました。
これはY染色体の黎明期の研究によりほぼ否定されました。その後縄文・弥生が北方と南方に分かれて移動してきたと言う説が有力になり、戦後日本の時代背景を反映し広く受け入られました。しかしながら、Y染色体研究(東アジア・東南アジア含め)が更に進展したことや、新しい事実(稲作などが日本の方が朝鮮半島周辺より早い等)発見等から、現在では縄文・弥生それぞれの時代の移動経路は南方から日本列島経由で北方・半島へ移動したと考えられるようになりました。

(日本と欧米の研究の一致)





FBF Fumiaki Matsuoka様より。

FBFの皆様、古代の朝鮮半島が「和人の国」であったことを御存じですか。日本人は朝鮮半島経由で日本に流れ着いた民族と思われていますが、朝鮮半島は無人の荒野だったことが判明しました。

朝鮮半島には新羅、百済、高句麗の三国鼎立時代のほかに、任那や日本府があったことをかつて日本人は習いました。任那と日本府を除いて、後の三国は、朝鮮固有の民族と思われていましたが、DNAと古代遺跡の研究から、百済も、高句麗も、新羅も、和人の国であったことが分かりました。

和人同志だったから、古代の和人は通訳なしで、高句麗人とも、百済人とも、新羅人とも話をすることが出来たのです。



神功皇后は新羅征伐を行った強い皇后ですが、神功皇后のお母様は、新羅族の女性です。新羅族の女性と言っても古代の新羅族は、今の朝鮮族ではありません。和人の国である新羅の女性だったのです。

現在の朝鮮族は朝鮮半島に侵入してきた北方の蛮族・エベンキ族と穢族が「和人の男」を皆殺しにして、生き残った「和人の女」と混血して誕生した民族です。

モンゴル人がアジア全域を征服したころ、エベンキ族と穢族も朝鮮半島を征服して「高麗」を建国しました。高麗軍はモンゴル軍と共に鎌倉幕府が治める日本に襲来しました。これが「文永の役」ですが、エベンキ族の高麗軍は残略な戦い方をしました。

壱岐・対馬に上陸したエベンキ高麗軍は、住民を皆殺しにした後、生き残った女たちの手のひらに穴をあけて、船の舷側に吊り下げて進撃してきました。死んで食べられなくなった女の死骸は海中へ切り捨てました。死体をサメが食いちぎるたびに、高麗兵はドッと歓声をあげました。鎌倉武士達は苦戦しましたが、台風の助けでエベンキ高麗軍を撃退しました。


この時、日本国内に侵入し定着した高麗人の村が関東地方にあります。村の中にはエベンキ族のトーテムポールと瓜二つのトーテムポールがあります。和人の国だった古代の新羅,百済、高句麗にはなかったものです。

エベンキ族の伝統的戦法は、狙った民族の中に潜り込んだ後で、もぐりこんだ民族を大混乱に落として、征服する工作員スタイルの戦法です。


この戦闘方法でエベンキ族と穢族は朝鮮半島を征服しましたが、本体はシベリアから満州に出てきた蛮族です。


エベンキ族は車輪を作ることも,カラフルな織物を作ることもできません。江戸時代に日本へやってきた朝鮮通信使は、野糞をしながら江戸へ登っていきました。

彼らはシベリアから来た蛮族であることを隠して、古代の新羅族になりすました。そしてエベンキ族の発音で新羅を「シルラ」と発音し、百済を「ペクチェと発音しています。



日本人はこの不可解な朝鮮族を兄弟国として扱うたびに、煮え湯を飲まされ、国土を奪われる寸前となりました。




天皇陛下の血にはエベンキ族の血は入っていないことを日本人は知るべきです。




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 → 朝鮮人のルーツは、エベンキ族!


 → 日本人のルーツは漢でも朝鮮でもない!


 → 日ユ同祖論 No,2 天狗・八咫烏の正体