*ともみんちへようこそ*
こんにちは
ともみんです。
頭に浮かぶことと
心に浮かぶことがちがう。
頭でわかることと
こころで感じることがちがう。
そういうことが
ある。
(他の人はないのか!?)
自分自身は
頭では
愛されていたと分かっている。
今、大人になり、親になって
振り返っても
確かに大切にされていて
愛情を注いでもらっていたと思う。
でも、
度々書いているように
自分の存在価値は
ないどころか、
生まれなきゃよかった、と
こころが叫ぶ。
愛されていたのに
愛されていた感覚がない。
だから、
自分が生まれたことが
公害って
いまだに思うことがある。
愛されていたのに!
そして
迷惑な自分という存在を
抑えようとしても
抑えきれない。
そんな葛藤の中にいる。
こんな孤独感と罪悪感、自己否定感を
持っているせいで
人を敵視してしまうし、
警戒心が強い。
人を頼ることもできず、
自分を認めたくて…
優等生を演じようとする。
人に対して心をひらけない。
そんなわたしの辛さ、
子どもたちに
味わってほしくない。
人と交わる楽しさ、
生きている歓び、
愛し愛される悦び、
自分であることの安心感を
いっぱい味わってほしい。
だから、
“わたしのような人間を
作りたくない”
これは
1人目を妊娠した時に思った。
だから、
ぜーーーーったい
男子がよかった。
長女はわたしと重なるからダメ。
それで、
「愛されていることを感じてほしい」って
思いながら17年やってきた。
でも
たくさんの矛盾がある…。
だから、
今、
子どもに気を遣わせ、
子どもに嘘をつかせ、
お母さんは邪魔だと言われて、
ある時は
“お母さんは俺のやることを
全部邪魔してくる”とも言わせた。
こんなことになっているんだけど。
自分がそうだったように
うちの子たちも
無条件の愛、
愛される安心感、
そのまま、ありのまま愛される感覚を
知らないんだろうなあ。
知らないと思う。
だって
わたしがそのぬくもりを
知らないから
与えられていない…。
「愛されることを感じてほしい。
愛情不足は避けたい」と思い、
3歳までは家で子育てして、
小学生になっても
帰宅時はわたしは家にいた。
授業参観は必ず行ったし、
夕飯は常に一緒だった。
でも、
そんなことをしても
そこに安心感は
なかったと思う。
お母さんは家にいるだけで
いい。
お母さんが家にいるだけで
安心する。
怒ってても、お母さんは家にいたらいい。
そんな言葉にすがり、
そうしてきたけれど
実際には
保育園を利用しながら働き、
子育てしてきたママの子どもの方が
自己肯定感は育ち、
のびのび
イキイキしていて
親との関係も良好で
いい距離感で見守られていることがある。
わたし、
何やってたんだろ。
何をするか?じゃなかった。
何を選べばいいか?じゃなかった。
わたしは
何を選んでいたとしても
安心感や安らぎは
与えることは
できなかったんだろうな。
そう気づいた今、
願うのは…
頭で「愛されていた」とわかるのに
不安で寂しかった、という矛盾で
苦しみませんようにー。
さぁ、
どう伝えていけば
そうならずに済むのか。
せめてもの償い。
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