*ともみんちへようこそ*
こんにちは
ともみんです。
カーブミラーに映るわたしたちおやこ。⇧
みえる??
わたしは昔、看護師をしていたことがある。
看護師になる前の
大学生の頃、病院で看護助手のバイトを
したことがある。
バイトしていた病院は
古い病院で
寝たきりの人が
8枚ほど
カーテンの区切りもなく、
横たわっていた。
うーうー唸る声や
認知症の方の叫び声、
機械音が日常的にそこにあり、
排泄物のにおいが
どこからともなく漂った。
患者さんのベッドサイドには
新品の大量のオムツが並んでいた。
その中を流れ作業のように
順番に
口腔ケア、おむつ交換、体位変換、清拭、着替えが行われていく。
合間に
点滴の交換、経管栄養の注入…
初めてその光景をみたとき、
“これは生きているというのか?”
“死ななかった”だけの
そのときを待つばかりの人たちが
こんなにたくさんいるのか!?
と、衝撃を受け、
なんとも言えない気持ちになった。
でも、
定期的にご家族が訪れて、
寝たきりで反応のない高齢男性に向けて
話しかける姿もあった。
きっと、もう長い間、入院しているであろうそのおじいちゃんの固まった手を
マッサージしながら話しかける姿に
「家族にとっては“生きている”んだな」と
感じ、それも衝撃だった。
このふたつの感覚は
今も残っていて
「医療嫌い」のわたしにつながっていると思う。
当時は
無意識に自分の感覚を閉じて
“業務”をこなしながら…
こういうところで働きたくない、
こういうところに自分の大切な人を
置きたくない、
と思うきもちも
そっとしまっておいたんだと思う。
何年か看護師として働いたけれど、
その頃も
やめた今も
大学生の頃、
あの場所で抱いた
「生きる」ってなんだろう?
という問いを
持ったまま。
ただ、最近…
いのちは重い。
いのちは大切。
いのちの存在感は大きい。
でも、それは
「死んではいけない」ということではないのに
なぜか
「死なせてはいけない」と
イコールになっている気がする。
食べられないので
高カロリーの点滴をしないと死にますよ?
→じゃあ点滴します。
転倒して意識不明
→救急車を呼ぶ
がんです。治療法は手術です。
→寝たきりの90代の人に手術を。
そう、答えないと
自分が人殺し、
見捨てるような罪悪感を持ってしまうような
風潮が
出来上がっている。
いやいやいやいや。
死ぬことも尊いこと。
誰にでも訪れるその時を
枯れていくように
ただ、見送るということは
その人への
敬意を払うということにも
なると思う。
死んでもいい。
でも
死んだら悲しい。
愛する人には
長く生きて欲しいと思う。
でも、
死にゆくことも
しかとこの目で見て
見送るという敬意の払い方を
わすれてしまっていないか、
そんな風に思う。
はじまりも
おわりも
同じように
抗わず、ただ、受け入れるー
それが
いのちへの敬意の
払い方にも思う。
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