Instagramではなく、
blogに
手が出る時ー
それは
自分にベクトルを向けたい時。
誰かをではなく、
わたしを
励ましたい、
わたしの気持ちを丁寧にみたいとき。
誰かにではなく、
自分が自分に
言葉を向けたい時なんだ。
本当はもう少し前に、
そういう気持ちになっていたような気がする。
ようやく・・・
という感じだ。
ちょっと遅かったかな。
おまたせ。
・・・・・・・・・・
うまくいっている感じがするとき、
流れに乗っているような感覚のとき、
興奮しているようなとき
何かに向かってまっすぐなとき
勢いがあるから、
自己に「ある程度」
目を向けるだけで、
なんとなく進んでいけるのだ。
多少の罪悪感や、違和感、もやっとした感覚、自己否定・・・
そういった感情を
抱いたとしても
「あとでね」と言って後回しにし、
走り続けがち。
でも、うまくいかなくなったり、
動きがゆっくりになったり、
ひと段落したとき、
それは「澱み」となって
浮かび上がってくる。
あのとき、後回しにしたものが
「ねえねえ。そろそろいいかな?」
と我先にと
やってくるのだ。
「あとでね」とわたしが確かに言った記憶がある。
そんなことを思い出していたら、
「あとでね」
という気持ちを抱く時、
自分の中に罪悪感が芽生えていることに気づいた。
「あとでね」という言葉、
最優先できないことを申し訳なく思う気持ちー。
いつから、
その気持ちを抱くようになったんだろうー。
振り返ってみると、
「子育て」の中で
この罪悪感が顕著に顔を出すようになったんだと気づいた。
そして、この数ヶ月、
子供達や夫に対して、
「罪悪感」を抱いていた!!ということが見えてきた。
【わたしが自分のやりたいことを優先すると
家族に寂しい思いをさせてしまう。
わたしのせいで・・・】
この思い込みが
強く、
そして、当たり前のようにー
あった。
半年前からはじめた
「過去の自分」に会いにいくという時間。
それが25歳で止まっている。
気になってはいたものの、
あとまわしにしていたんだ。
本当は25歳以降の
「死んでもいい」と思っていた自分
人生でMAXに自己嫌悪し、自己否定していた
この時期の自分に
会いにいきたかった。
でも、なぜ後回しにしていたのか??
すごくすごく
こわかったんだ。
自分に癒せるだろうか?
あの状況の自分、
「自分なんかが生きていたら、みんなに迷惑だ」
と死ぬ勇気もないけれど、
生の終わりがこないかな・・・
なんて思っていた自分。
「わたしには子供を産む資格もなかった。
育てるという道を選んではいけなかった」
「ごめんなさい」
そう毎日、思いながら生きていた自分に
もう一度会うのがこわかった。
会ったとしてもどう声をかければいいのか
わからない。
こわくて避けていたんだ、無意識に。
でも、
今なら会いに行ける気がするし、会いにいきたいと思った。