繊細は「唯一無二のせかいをつくれる力」 | 5人の子どもと夫とわたしの日常。喜怒哀楽揺れる日々、言葉にならない思いを徒然なるままに。

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5人の子と、“ツレウツ”な夫と、わたし。
心の揺れ、葛藤、理想、よろこび――日常にあふれる、言葉にならない思いたちを、まるごとメモしています。
整ってないけど、うそはない。生まれたての気持ちを、そのままここに置いています。

繊細ってどういうこと?


ただただ敏感であるということのように捉えられがち。


繊細=かぼそく優美なさま。微妙で感じやすいこと。


敏感=感覚や感度の鋭いこと。


繊細は「微妙」の意味ももつ。





細かいところ、小さな差にも気づく。

だからさ、「こんな感じ」という感覚でさえ、

細かいんだよな。


感覚的に例を出せば…

「背中が痒い」とする。



自分では掻くことがでなくて、誰かに頼む場合、


繊細な感覚ならば1ミリでもずれると心地よさが半減してしまう。

もっと、ほんの少しだけ右!

その微妙なほんの少し…はなかなか伝わりにくく、

満足できることが少なかったりする。




大雑把、鈍感になったことはないのでわからないけれど、

もし、心地よさの範囲さえも大雑把であるならば、

ミリ単位まで合わさずとも、

満足できるのかもしれないーと思った。違うかもしれないけど🤣





掻く強さだって、

「これだ!」と思う強さに微調整できるのは

実は自分だけ。



だからさ、

繊細だった赤ちゃんのわたしを

育てるのは本当に大変だったと思う。

なかなか満足してくれないのだから。




繊細だった幼児のわたし、イヤイヤ期が周りよりも酷く感じたはずだ。



そりゃ、匙を投げたくなっただろう。



友達と遊んでも拗ねて帰ってくる、

うまく交われないわたしをみて、

心配になり、

理解できないと思うのは当たり前かもしれない。





精一杯やってあげているのに

伝わらない…

いつしかあきらめるようになったのは

必然の流れかもしれない。




母は

わたしに匙を投げているような感覚が

小さな頃からあった。



それさえもキャッチする繊細さ。


わかってほしい、

こっちを逃げずに見て欲しいとずーっとずーっと思っていた過去。



母はわたしが嫌いなんじゃなくて、

この繊細で微妙な感覚が

単にわからなかったんだろうな。




どうせわたしは理解されないという思い込みもこの時に作られたと思う。



0歳の頃からずーっと時間をかけてー。

だから、根強い。




身体が痒いときは自分で掻きたい。



ご飯をたべるとき、食べさせてもらうより、

自分にしかわからないペース、

順番で食べたい。



それが一番美味しく感じる。



結局、

母に求めていたから満たされなかっただけ。



自分を本当の意味で満たせるのは自分だけ。

だって

この微妙な加減は全然伝わらないもの…。




繊細さは「こだわり」でもある。

グルメなんだ。


もしかしたら、

誰かの作った味ではなく

最後、

自分で仕上げをすることで満たされるのかもしれない。




自分で自分の味を生み出す「繊細さ」

しかも唯一無二の味を生み出せるんだ。



誰にも理解されない…

わかってもらえないということは




「唯一無二」を生み出す力があるということでもある。




みんなに馴染みたい、

でも、馴染めないっていのも

この繊細さからも来てたのかもしれない。




繊細は「唯一無二のせかいを生み出す力」



そう思ったら

馴染めなくても、理解されなくても

仕方ないし、

馴染まなくても、理解されなくても

いいか!って

感覚で理解できる。





繊細は「唯一無二のせかいをつくれる力」


「意味」ではなく、

「感覚」で理解できた時の

安堵感は大きいなぁ。


きっとこの安堵感も

繊細が故に、なかなか辿り着けないのだけど

辿り着いた時、

めちゃくちゃど真ん中の核に触れることができているのかもしれないな。





わたしはチープな人間じゃないわよ。

簡単に理解できるなんて、言わないで!

そんな風に思う自分も

許せるかもなあ。