新しいものを得ることと既にあるものを生かすこと。 | 5人の子どもと夫とわたしの日常。喜怒哀楽揺れる日々、言葉にならない思いを徒然なるままに。

5人の子どもと夫とわたしの日常。喜怒哀楽揺れる日々、言葉にならない思いを徒然なるままに。

5人の子と、“ツレウツ”な夫と、わたし。
心の揺れ、葛藤、理想、よろこび――日常にあふれる、言葉にならない思いたちを、まるごとメモしています。
整ってないけど、うそはない。生まれたての気持ちを、そのままここに置いています。

大学4年生の頃だったか・・・

 

 

遡ること15年前、

 

たまたまその場に居合わせた教授(肩書きは講師だったかも)の

手伝いをすることになったんだったかなあ。

 

 

世間話をしていたと思う。

 

その内容はすっかりわすれたけど、

 

一つ今でもはっきり覚えているのは

 

「わたしはね、気の研究をしているのよ。」

 

という言葉。

 

当時、「看護」というものが

ようやく「看護学」という学問として

成立しつつあった頃。

 

 

「職業」としての看護から

「学問」としての看護学へという土台がようやくできあがりつつあると

 

教授たちは言っていた記憶がある。

 

経験に基づく看護から

エビデンスに基づく看護・・・

 

そんなワードをよく聞いた。

 

 

 

看護学部という4年生の大学、研究科が設置されはじめてまだ時が浅かった時代。

 

 

まだ

「エビデンスに基づく」とか

「データで示す」ということが

圧倒的に少なかったようで、

 

他の学問分野に遅れをとっている、

経験値ではなく、エビデンスを集めていかないといけない・・・

 

 

そういうことをさかんに聞いた。

 

 

そんな中で

「気の研究をしているんです」という言葉は

インパクトが強かった。

 

 

「気?」そんなこと研究できるの?

そんなの、求められているの?

 

そう思ったんだよなあ ・・・・。

 

一緒にいた友達は後で

「あの人かわってるね。」と笑って言っていた。

 

 

以来ずーーーーっと、

その会話を忘れたことはなかった。

 

 


わたしが人生のなかで

「気」というものを言葉として、

また「気というものはある」ということを初めて認識したのは

 

 

あのときだったのかもしれない。

 

 

 

 

昨日の朝、

「頭痛い・・・」と言っていた次男。

 

 

朝方、娘の態度にイライラしていたから、

そのせいかな?と思っていた。

 

 

一人でチベット体操を始めた・・・

(彼はチベット体操をした後、クリアになれるらしい)

 

でも、

まだ残ってる・・・

 

 

マシにはなったんやけどなあーと。

 

 

1ヶ月くらい前に、

わたしも頭痛がひどい日があった。

 

その日聞いていたインスタライブ配信で

自分の手と手の間に気を感じ、

その手で、体をヒーリングする・・・という場面にでくわした。

 

「手をからだから少し浮かせた状態でなでるようにする。」

 

それだけだったけど、

10分後には頭痛は消えていた!!

 

 

 

すごい!

 

 

と感じて、以来ときどきしていた。

 

 

だから、次男に提案してみた。

 

5分後・・・

 

「治った!これすげーーー」

 

 

元気に学校にでかけていった。

 

そんな姿をみて

 

 

 

新しいものを開発し、

発展し続ける必要ってあるのだろうか。

 

 

生きることの基本的なところは

科学や研究が

どんなに進化しようが、

かわらない。


 

人間は自然物であり、

動物。

 

新しい知識や技術がなくても

よくいきることはできるなあ

って思えてきた。

 

 

昔からある「知恵」

にも目を向けてみよう。

 

 

「気」の研究が妙に気になったのは

そこかもしれない。

 

 

あれから15年。

 

「気」の研究をしていると言っても

当たり前のように受け止められる世の中になっていると感じる。

 

時は流れ、

当たり前は変化していく。

 

 

 

 

 

わたしにとっては

 

新しいものを追い求めることよりも

 

「今あるもの」を生かし、

生きることがおもしろいと感じるのかもしれない。

 

 

 

 

温故知新ー

すきなことばのひとつ。

 

 

 

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水と小麦と塩で

パンを作り出した祖先はすごい。