100トン飛行機救難船について
(リサーチ結果)

1. 運用時期
    飛行機救難船としては、大正15年(1926年)に鋼製20トン型の交通船へ飛行機曳航装置を設けたのが始まりです。  
    本格的な飛行機救難船の建造が本格化したのは昭和時代に入ってからで、昭和8年(1933年)度に最初の100トン型2隻が着工・建造されましたことが確認できます。  100トン型は「公称第八七二号」「公称第八七三号」の2隻が建造され、訓練中や戦闘で海面に不時着した味方機を捜索・救難しました。
    太平洋戦争期を通じた運用: 日中戦争から太平洋戦争終戦(1945年)に至るまで、海軍航空隊(基地航空隊)の附属船として一貫して運用され続け2隻とも生き残ったことが確認できます。

2. 運用された場所・配置
    本土周辺、公称第八七三号については佐世保港に配備された記録が残りますが、公称八七二号は東京湾で撮影された写真が現存する為、推定となりますが、東京湾配備と思われます。

3. 運航体制
    海軍の搭乗員と民間協力者: 海軍の雑役船として籍を置かれ、海軍の軍属や水兵、あるいは専門の乗組員によって運航されました。
    戦後の引き継ぎ(海上保安庁・海上自衛隊): 終戦後は、日本近海に残された機雷を除去するため、生き残った救難船(200〜300トン型)がそのまま復員庁や海上保安庁の掃海船・母船へと姿を変え、朝鮮戦争の特別掃海などでも活用されましたが100トン型の記録は1950年まで登場しません。

    1933年に100トン型が建造されて以降、より大型の機体を扱うために200トン型、300トン型へと大型化が進みます。

    100トン型の残存例: 150トン型や300トン型の救難船(戦後「ゆうちどり」や「公称第九三〇号」などとして生き残った船)は、戦後長らく客船や海上自衛隊の迎賓艇、さらには海上レストラン(三重県の鳥羽国際ホテルで使われた「Sea Horse」など)として改造・活用されたため、昭和末期〜平成期にかけてのカラー写真や当時の雑誌(『丸スペシャル』など)にその姿が記録されていますが、100トン型飛行機救難船の記録は、巡視船として流用された公称第873号のPS-61(いわちどり)、H-66(海鴛)海軍運用時形式不明、H-88(海鷲)海軍運用時形式不明、CL-71(しらぬい)海軍運用時形式不明の4隻のみで、写真などの記録は皆無です。

  100トン飛行機救難船については、公称第872号、公称第873号の2隻が1933年に造船されたことが確認されておりますが、図面などは現在に至るまで確認されておらず、正確な船体形状を含め、不明瞭な点が多い状況です。

  従って、後の150トン型(公称第929号~第932号)へと繋がるベースとなったことから、構造をスケールダウンして見立てるのが適切であり、一般的なアプローチとなっています。

  公称第873号については、戦後巡視船PS0061「いわちどり」として再就航し、1954年5月に退役。更に改装され、PS-0114として再再就航。1966年10月に退役しています。そして、驚くことに公的な写真が残っていないそうです。

  しかし、ここで諦めかけていた際のこと。戦時中の佐世保港の写真記録に、公称第873号の写真が残っていました。比較的鮮明な写真であり、煙突には呂號潜水艦にも描かれていた、勇ましい虎の絵が描かれています。

  艦橋などを始めとして史料価値が高いものでタミヤが辿り着いた執念のリサーチ能力に驚かされます。
 ですが、甲板などの状況は恐らく150トン型や300トン型を参考にしていることでしょう。

  また、sidennkai様からも呉海事資料データベースに100トン型飛行機救難船の写真が収蔵されている旨ご教示いただき、公称第872号の戦時中、戦後の係留状態に係る写真数枚を確認できました。公称第872号は戦後数年係留されましたが、解体され再就航は無かった記録になっているのですが・・・。

  謎なのは、1934年には存在する3トンクレーンが、1947年1月15日撮影写真ではクレーンが損壊している状態になってます。更に場所を秘匿する写真加工がなされています。戦後なのに興味深いところです。1947年1月15日に、公称第872号に何かの事件が起こったのでしょうか。この謎を御承知されておられる方がいらしたら是非ご教示ください。

  そして、1947年撮影時不詳時(推定1947年2月~4月)にはクレーン自体が無くなっており、損壊したクレーンを撤去したと思われます。更に1947年5月には正常な3トンクレーンが取り付けられています。この写真のファンネルには〇復の白い文字が読み取れます。

  これが意味することは、何らかの雑役船として、使用されていたことを意味するはずです。ファンネルの文字から、復員局所属だったことが示唆されます。しかし、海上保安庁などの記録には残っていませんでした。

  更に、第872号と第873号とでは、同型艦らしからぬシルエットに明らかな相違点もあります。艦橋後方露天デッキがブルワーク、大きな排気ダクトが艦橋後部に配置、烹炊煙突が艦橋左舷側に突き出ていて、戦後のハルには迷彩塗装、両舷側には「872」の白文字が確認できるのが第872号。

第873号は、艦橋後方露天デッキは手摺、大きな排気ダクトは認められず、烹炊煙突が確認できません(多分あるでしょう)。戦時中に確認できる塗装は白っぽく、「873」との文字も描かれていませんが、ファンネルには勇ましい虎の絵が描かれています。

こうして考察していくと、写真も残っているものですね。
実は以前練習巡洋艦香取さんが、戦後も生き残った300トン型飛行機救難船の記事を特集されており、それ以来気になってはいましたが、まさか100トン型の方を調べることになるとは思いませんでした。

sidennkai様におかれましては、いつも本当にありがとうございます。

 

続く。