困りました。
100トン曳船(タグボート)。
実船の写真を探しても見当たらず、職権で使えるもので調べてみると、タグボートセットに含まれる100t曳船について、「100t曳船公称第770号」と解説している資料が存在することを確認できました(タミヤが公表している訳ではありません)。
すわ、これで100t曳船公称第770号を調べれば明らかになる、と小躍りしたのですが・・・。
エビデンスを一つずつ辿っていくと、公称第770号自体が100t曳船ではない事実を帝國海軍の公式記録から確認することができました。
つまり、雑役船の図面や資料を掲載している書籍
・ダイヤモンド社 日本海軍艦艇写真集 巡洋艦・雑役船
・KKベストセラー 日本海軍全艦艇史 雑役船・特設艦船
の船名解釈に、どうやら間違えがあるということです。
1次資料を追いかけて確認しましたが、今の時代有難くもAI OCR文字認識で読み込ませたデジタルデータが完成しつつあるので、海軍公式記録を検索するのにキーワードが使用出来つつあります(ワイルドカードも使用できます)。
その結果、もし本当に「100トン曳船公称第770号」が実在するのであれば、公文書が間違えていることになってしまいます。原則それはない前提で話を進めます。
その結果、公称第770号は、3隻確認できました。
①公称第770号(初代):
1930年就航
20屯 交通船兼曳船(浅野造船所造船/横須賀海軍建築部所属)
②公称第770号(二代):
1934年就航
9mカッター(三菱長崎造船所造船/海軍砲術学校所属)
③公称第770号(三代):
1943年就航
14m特型運貨船(呉海軍工廠造船/佐世保防備隊所属)
つまり、公式データ上公称第770号という100t曳船が存在しません。
恐らく書籍掲載時にいいかげんなリサーチで名前を掲載した訳では無いので、寧ろ艦船考証が一般化していなかったため、誤解や番号の記号化、借用がよくあったのではないか、との艦船史の解釈も見つかりました。
2次資料たる書籍には間違えが多く、個人的なイメージではあまり信用できないと考えています。
また、これはここだけの話と言いながら記載しますが、某大手書籍会社の編集関係者から聞いた話では、従来の解釈がいくら1次資料で間違えが発覚した、としても大人の事情でひょいこらと訂正できないのだそうです。それにより誤った解釈となってしまう方々に損失を与えかねないという忖度なのだそうです。色々難しい様です。
有名どころでは、大型船以下駆逐艦などのリノリウムの抑え金具は昭和12年以降に就航、または整備を受けた船だと真鍮では無いことちゃんと正確に広めた方が良いと思います。
なるほど。
なるほど。
これが日本です。
相手に気を遣う優しい社会だけど真実が覆い隠された隠蔽文化じゃないんだから真実はアップデートしていこうよ。
大御所だって間違えであれば訂正すればいいだけの話。それまで判らなかったんだからアップデートすれば良いじゃない。
何だよ大人の事情って![]()
困りました![]()
ディティールアップの検証ができません。
しかし、名前はいくつか判明していますが、帝國海軍100t曳船、150t曳船、というものの公式図面や、同型船の写真が現存しているそうです。
名前なんかどうでもいいから、その写真が見たい。
ただ、文字だけならその概要が凡そ掴めるようになりました。
まず、タミヤの説明書の解説では、100屯曳船は、小型・中型艦船を曳いたり押したりした、との記載があります。
ところが、呉で大和を押した記録、横須賀の軍港では武蔵(すみません、戦艦武蔵が横須賀に入港したことあること自体知りませんでした)を押した記録が残ってます。
凄いな。
小さな船が力持ちですね。
尤も、今回満載排水量であれば6万トンのダイヤモンドプリンセス(総トン数116,000トン)を押していた曳船は、決して大きく無かったので、100トン未満だったと思います(違うかも知れませんが)。
艦橋構造物の基礎部分の後方に少し突き出た箱型の部分があります。

この部分は後方に水密扉があり、機関室へ出入りできるようになっているそうです。
そして更に後方にある台形の構造物。

これが機関室天蓋(天井のこと)で、ここに四角いまどが2つあるそうです。
そして、この窓を護る為の鉄の支柱が外側にあったそうです。
ハの字の斜めの部分に四角い窓という解釈で良いのですかね??
そしてこの天蓋の後方両脇には、H鋼曳航フックというものがあるそうです。
なんだそれは?という感じですが、AFVのSリングのH型バージョンと理解しました。
そして問題は後部甲板上にある構造物。
まず本当か疑いたくなるのが、3本の支柱。前2本はボラードだそうだが、最後方のものはキャプスタンだというのだ。しかも真ん中のボラードとキャプスタンとの間にある四角いモノ。これがウインチだと。
キャプスタンが何をするものかと言うと、船を曳航する為のものだったら、ですよ。
1本支柱では構造上無理があるのではないか。
せめて2点ホーサーリールの様なイメージであれば未だ強度はある感じするけど。
そして考えを改めたのが、タイヤ。
実は0.5mm丸棒の芯部分に0.3mmのピンバイスで穴を通し、パイプカッターで沢山切り出してタイヤを貼り付けるつもりだったけど。
そんなものは着いていなかったそうだ。
藁みたいな麻紐のようなものをだんごにして取り付けていたそうで、確かに古タイヤなんて無い時代ですからね。
色々勉強になりましたが、その残っている写真見てみたいという切なる願いは果たして叶うのだろうか。
鮮明な写真で国立国会図書館で見つけたのが、1941年6月11日に就航した帝國海軍の140トン曳舟。
昭和20年秋に、116,000円で民間に払い下げられた時の写真。

後述するのですが、軍艦色一色で塗装されている曳舟は写真では一切確認できませn。
一応公称第743号、公称第677号(宇品造船所発行「経歴書」)、公称第490号(雑誌「世界の艦船」:「海上保安庁全艦艇史」)と3隻分の不鮮明な写真が書籍などに掲載されてます。

公称第677号
公称第490号
いずれも戦時中の写真ではありますが、軍艦色一色のみで塗装されていません。
判断するに塗装は軍艦色一色では無いと断定しています。
艦橋部分は白、構造物基礎部分は何だろう??こここそ軍艦色?そして船体は青と見ています。全く色のトーンが違うので、一色ではないのは間違いありません。
少なくとも図面は見つけたいですね。
佐世保鎮守府や馬公(台湾)要港の起案見つけた(笑)
でもたかが150トンの曳船を造船するのに、大臣の決裁が必要って当時の大臣の仕事量は半端ないのだろうね。
昭和に入ってから起案者が司令長官ではなく工作部長級の人材にまで落とされ、決裁者が軍務局の課長にまでエンパワーメントされてきている経営組織管理論的な視点も面白いし貴重。
昔は起案者の氏名は記載せず第一種公印を押印していたことも判ります。
現代の起案では電子決済だから意識しないけど、意思決定プロセスも効率化の歴史を垣間見れるので、MBAとしての視点で見るのも面白いのです。
(原文)
佐鎮第40號
大正15年12月8日
佐世保鎮守府 司令長官
海軍大臣 殿
公称第676號 150噸 曳船兼交通船 船体及び機関部計畫圖面提出ノ件
・・・本文
馬公第365號
昭和2年5月9日
馬公 要港部 工作部長(川村)
海軍省軍務局第一課長 殿
60噸 交通艇件曳舷製造ノ件
・・・本文
歴史探索も面白いけど、経営史的側面も面白過ぎる・・・

