ご当地シリーズ:
と言いながら、その地名の詳細には触れないでおこう。
私が幼かったころの記憶。

いつかはご紹介したいと言い続けていた私の幼少期に住んでいた街での記憶。
昭和の某地方の街。
江戸時代から栄えた街だそうだが、その名が示す通り、昔は広大なとある湾に注ぐ大河の河口だった様だ。
全く関係無い話ではあるが、信州「善光寺」に関係する街でもあるが、何故だったかは記憶に無い。
蒸気機関車「善光寺号」とか習った記憶が微かに残る。
まずは地理的な説明から。
住んでいたところの少し南側に通っていた小学校がある。元々はその小学校から更に南に700mの範囲までは、1つの村だったそうだ。
暴れ川と呼ばれた大河は大きく蛇行して、その蛇行を描く内側が、ひとつの村の範囲だった。
明治大正期になると、この大河の洪水対策の為に蛇行は改められ、直線に改修されてしまった。
その為、村は南北に完全に分断される。
だから全く同じ名前の小学校が南岸にもある。
川の蛇行部分は新たに掘られた川の向こう側(南)に取り残され、その分断ポイントから、元々あった川は名前を変え、現在数キロ先の川下では我が国で最も有名な花火大会が催されている。

村の南側は別の自治体に編入され、蛇行した川の痕跡が今でも対岸に残っている。
(Google Map より 当時の川の流れの痕跡が随所に残ってます)
対岸に取り残された蛇行した川の部分の南側の先には、我が国随一の超巨大団地が築かれ、自殺の名所、と揶揄された時代もった。

直線にされた大河の北の村は街に発展し、いたるところにキューポラが並び、鼻にツーンと来る一種独特な金属の臭いが、街全体を覆っていたのを記憶している。
その昔、大物女優を主人公とした、「キューポラの街」という映画のモデルにもなったそうだ。

直線に改められた川の北側に取り残された地域が私が住んでいたところ。
善光寺という寺を中心に発展した街道の街である。
住んでいたところから細く東西に伸びる古来からの路地を東へ進むと、児童であった自分にとっては広い道路に出る。
後から知った話ではあるが、日光御成街道と言い、その昔は日光へ向かう徳川将軍家も通った由緒ある道だ。
大河に分断され、土手に塞がれているが、その昔は岩淵、志村の方へ続いていた。
そして、地域の商店街の方々がお金を出し合って、地方の商店街によくあるある円盤型街路灯が両側に立ち並び、本町商店街と呼ばれる一大繁華街となっていた。

(南側に残る商店街:あくまでイメージだが当にこんな感じだった)
多くの人で賑わっていた。
そこは本町商店街(銀座商店街とも)と呼ばれており、当該地方自治体の中心地だった訳だ。
八百屋、肉屋、魚屋、酒屋、雑貨屋、文具屋、クリーニング屋、ありとあらゆる買物は、ここで済ませることが出来た。
プラモデルとか模型を売っている所は無かったなぁ。
ここに老舗のお風呂屋が一件あった。
多くの人がお風呂を楽しみに来ていた。
木造の建屋(脱衣場)の奥には、大きく無いながらも水色のペンキで塗られた巨大な富士山の絵が掲げられており、典型的なタイル張りの湯舟が2つほどあった。
片方は熱い湯舟。もう一方は普通の湯舟だ。
お休みの日の夕刻になると、家族で商店街の中華料理屋での外食を兼ね、帰りにそのお風呂屋へ寄るのが楽しみで仕方なかった。
私が7歳か8歳くらいの頃だ。
暑い夏の夕方。商店街には、自転車に乗った豆腐屋が、
「プー、ペー」
とブブセラを鳴らしながら情緒感を一層出していたと思う。
日の長い1日でも未だ外は明るかった記憶がある。
ワクワクしながら父親の手に引かれて行ったそのお風呂屋でのことである。
私が脱衣場から風呂場へ走った時に足を滑らせ、豪快にコケたのだ。
そんな風呂場の中で鼻を打ち付けて鼻血が少し出たと思う。
ほんの少しだったと思う。
だが驚きの方が大きかったのか、ビェーと泣いてしまったのだ。
まさにその時だった。
記憶ではまるで山の様な、デイダラボッチの様な巨漢が現れ、片手で私の頭を掴めば持ち上げられるのではないか、と思うほどの巨大な手で頭を掴まれ、
「大丈夫。」
「頭は打っていないけど驚いたな、坊主。」
の様なことを言われたと思う。
正確なことは覚えていない。
いや、もうその巨漢そのものが恐怖で、泣くどころでは無かった。
あまりの恐怖で脚が震えていたのも覚えている。
その方は巨漢ながらもいつも物静かで、たまに見かける人だったが怖そうだった。
その巨漢は工藤さんと呼ばれ、同じ本町に住んでいた人だったから全く知らない訳では無かったのだが。
その後も何度か工藤さんは見かけていたが、挨拶もしないクソ餓鬼で失礼だったと思う。
小学校時代にその地方からは転居してしまったのだが、社会に出て、懐かしい友と再会する際に知った地元の著名人ネタの話をしていた時の事だった。
その工藤さんという方は、旧大日本帝國海軍 駆逐艦『雷』の元艦長
工藤 俊作 氏
であった。
本町の名士であった為、多くの方が知っていた。
元艦長というより、その体躯で著名だったと思う。
しかし、当時それを知った私は、駆逐艦かみなり?程度の知識であり、その 工藤 俊作 氏が、世界史上どのような意味を持たれている方であるのか、知る由も無かった。
駆逐艦かみなり は、工藤 俊作 氏という名前以上に強烈なインパクトを以て、脳裏に焼きついた(制式艦名は"いかづち"だが)。
私が工藤 俊作 氏の人物像を把握できたのは、自分が工藤氏と出会った時と同じほどの年齢になった娘たちと見た
男たちの大和/YAMATO
という映画を見てから以降のことであった。
艦船に興味が出始め、興味本位で見ていたYoutubeの中に、あ、知っている人、という記憶に無ければクリックしなかった可能性がある動画を見た時だった。
(参考)
動画を見終わってから、茫然とした。
全く惜しい機会であった。
2023年、知り合いの偉い人が、お披露目に建物を見せたい、とのことで、そこへ伺った。

何とそこは!
工藤さんと出会った場所からチャリンコ2km圏内ではないか!
かすかに記憶に残る昔そこに存在した団地は跡形もなく消え去り、名菓ひよこ饅頭工場の対面には、綺麗なサイバーキャンパスが造られていた。

その帰り路。
幼少期を過ごした本町商店街へ立ち寄ろうとタクシーを呼んだ。流石にワンメータとはいかなかったが。
商店街?
江戸期には本陣迄置かれた由緒正しき日光御成り街道。
そこは商店街のかけらも無いほどに変貌し、ただの宅地になっていた。

(Google Map より本町商店街があったところ:ここら辺の右手にお風呂屋さんがあった)
今住んでいる方々のどれくらいが、この道を将軍らが通った道だと理解しているだろうか。
時は流れた。
商店街は消えた。
銭湯も消えた。
だが、あの日、頭を大きな手で支え、
「大丈夫だ」
と声を掛けてくれた工藤俊作氏の姿だけは、間違えなくそこにあった。
そして、今もその手の温もりは、私の記憶から消えることはない。
今迄取り上げたご当地シリーズ:
戦艦陸奥(山口県周防大島町)
廣嶋被曝遺跡の「いま」(広島県広島市)
ワン・ツリー・ヒルズの木(NZクライストチャーチ)
世界遺産『宮島』の本当の魅力(広島県廿日市市)
幻の海、秩父湾(埼玉県秩父市)
宝登山神社の伝承(埼玉県秩父市)
知林ヶ島のうた(鹿児島県指宿市)
風水渦巻型のお濠を持つ御城「江戸城」(東京都特別区)
四ツ谷見附橋の秘密(東京都千代田区:東京都八王子市)
渋谷発祥の地「神泉」(東京都渋谷区)
ラムセス2世勝ち戰の嘘とプロパガンダ(エジプトアブシンベル)
ヒエログリフの終焉(エジプトコムオンボ)
カルナックとルクソールの風(エジプトルクソール)
大家の谷 テロに立ち向かった丸腰のおっさん(エジプトルクソール)
クフ王ピラミッドの謎(エジプトギザ)
歴史民俗博物館ミイラ室と大エジプト博物館2024(エジプトギザ)
外ヶ浜で中学生が見つけた人類最古の土器(青森県東津軽郡外ヶ浜町)
オカルトに無縁な本当の恐山(青森県むつ市)
世界に誇れる縄文遺跡群(三内丸山)(青森県青森市)
サン・ローラン青の宮殿(モロッコマラケシュ)
トドラ渓谷の水(モロッコティネリール)
エルフードの化石群(モロッコエルフード)
フェズの迷路(モロッコフェズ)
青の街(モロッコシャウエン)
灼熱のローマ遺跡:ヴォルビリス
トゥト王の墓と3Dスキャンプロジェクト(神奈川県横浜市)
狭山湖?(埼玉県所沢市)
埼玉古墳群と金策銘鉄剣、難波吉士(埼玉県行田市)
うなぎの蒲焼発祥の地「谷田川」(埼玉県さいたま市)
悠久のメコン(ベトナムサイゴン)
虚構の街(ベトナムハノイ)
大エジプト博物館2026(エジプトギザ)
ピラミッド貸し切りとホルムズ海峡封鎖の影響(エジプトギザ)
聖天宮 台湾 旅(虚)行記(埼玉県坂戸市)
千日前の灰山処分(大阪府大阪市)
猿島遺跡(神奈川県横須賀市)
戦艦三笠(神奈川県横須賀市)
幻の競馬場(京都府京都市)
銀座発祥の地(京都府京都市)
伏水の恩恵伏見の酒処と平安京の秘密(京都府京都市)
とある県境の話(三重県某所)
茶臼山古墳の真実(大阪府大阪市)
宇田源氏佐々木京極氏の墓所整備(茨城県奥久慈郡)
四条河原寺町という名の由来(京都府京都市)
多摩地区10選(東京都/神奈川県多摩地区)
かつてそこにあった本町商店街(埼玉県川口市)



