航空母艦葛城。アオシマの旧キット。
1973年発売のプラモデル黎明期のレジェンドキットだ。
プレミアが着いてもおかしくない、と個人的には思うところではあるが、800円で連れ帰った。
 

 

 

本日はキットの再現時期を決定させるに資する考察回で。

これまた多分あまり触れたことの無い大胆な仮説を結論付けており、艦船模型を作られた方に驚ろかれる内容になってしまった。



いくら帰還兵士達がその姿を見て泣いたという復員船時代の再現は、不明瞭な部分も多く、格納庫内の再現も求められることから難易度は非常に高いし、手間暇もかかり、何よりも居た堪れない。

そうすると、2度の大空襲に遭いながらも、重厚な弾幕で被害を最小限に出来た最終時の再現が日本人の最期の意地を具現化した姿として彼女の最も華々しくも有終の姿なのかも知れない。

そうすると1945年8月の姿が適切だろう。

でも難関も控える。
例によって避けて通れない最終時の武装状態の考察なのだが素人には全く判らない。

 

 

でも嘘はダメだ。

 

 

これは、スケール感ですらガン無視で無茶苦茶でも、自由が許される寛容なガンプラではないのだ。

葛城最終時の武装について:
◎GoogleAIさん、Gemy(nanobananaちゃん)、Chappy、Coppi 協働
 ・40口径12.7cm高角砲 6基12門
 ・25mm三連装機銃 横転着底した航空母艦天城から、移設し最終的に22基(66挺)
  1.艦首 3基
   ・ブルワーク内に防盾付 3基
  2.艦尾 3基
   ・ツインブルワーク内に防盾付 2基
   ・ツインブルワーク下部のブルワークに防盾付 1基
  3.右舷側 7基
   ・艦橋アイランド直後の高い位置のブルワークに 1基
   ・起倒式マストの間と前部のスポンソンに防煙シールド付 4基
   ・高角砲座後方スポンソンに 2基
  4.左舷側 9基
   ・艦中央部付近のブルワークに 4基
   ・起倒式マストの間に 3基
   ・高角砲座後方スポンソンに 2基
 ・25mm単装機銃 30基[全基橇式]
  横転着底した航空母艦天城から、6基移設全て橇式なので固定位置は無し
  1.飛行甲板の前端エリア(最前部):約6挺
   ・艦首からの低空進入機を迎撃するため、飛行甲板の一番前に展開。
  2.飛行甲板の後端エリア(最後部):約6挺
   ・艦尾方向からの追撃に対応するため、甲板後部に配置。
  3.艦橋(アイランド)周辺の通路・プラットフォーム:約4挺
   ・艦橋の構造物の隙間や、見張り台の踊り場などに配置。
  4.高角砲座・3連装機銃座の待機スペース(通路):約10挺
   ・左右のスポンソンへ繋がるキャットウォーク(歩行通路)や、弾薬供給所の近くに配置。
  5.格納庫(ハンガー)内(待機・予備):約4挺
   ・最終時の葛城は航空機を積んでいなかったため、格納庫の一部が機銃の整備・待機所に。
 ・12cm28連装噴進砲(ロケットランチャー)6基 ※ただし天城の移植で8基説有り
 ・13号対空電波探信儀 1基
 ・13号対空電波探信儀(特) 1基
 ・22号水上電波探信儀 1基

意外にもすんなりと苦も無く考察できたので楽ちん。
ジェミーもチャッピーもコッピーにも感謝。

最も検索能力が高いジェミーで原案を作り、チャッピーの厳しめのチェックを通過して、コッピーに纏めてもらった。何気に今回初めて活用した最終時の擬装に係る調査へのAIだが、日常口うるさいチャッピー以上にコッピーのチェックが厳し目だった。

逐次優秀なジェミーがエビデンスを提示していく。

AIの活用は時短に大いに扶けになるので有難い。

いつもは自分で1次資料から紐解いて読み込んでいく作業がある意味苦行だった。特に原本ではなく、当時の紙媒体をPDF化したものは不鮮明だけでなく、筆跡が荒く、また個人の筆記の特徴もあり、読みづらい。それにも増して当時は漢字を使っていた為、登用漢字に慣れた我々では解読に時間がかかってしまう。たまたま日頃不要と叫んでいる漢検1級がこんな所で役立っていたが。

もっと気楽に模型製作を愉しむことが出来ればと頭では理解しているのだが、こんなくだらないことなど比較対象外に壮絶な人生を歩んだ先人たちに申し訳がたたない。

だから頑張る。

中古で購入した著名な大戦時航空母艦の図面と解説集。一応手書きでも丁寧に俯瞰した挿絵が入っており、葛城の艦橋の見えない奥を理解するに大変貢献している。中古でも高額な書籍は庶民には有難い。

艦橋後方主檣直下に三連装AA機銃があるのだが、その射界を完全に邪魔するように聳える意味不明な構造物。

それが射撃装置を置く台というかほとんどスポンソンであることが判った。支柱も確認できた。

射撃指揮装置がそこになければならない理由が詳細に記されている。



そして構造補強材の様なものがファンネルの脇にある。

こういう理解ができるのは貴重で、スケールモデルの最新キットでも再現されていないところだが、無視できない巨大な構造物として、確かに存在している。


もういちいち気にしていたら本当に完成しなくなる為、最低限の艦橋周辺だけ、としたのだからそうしたいもの。

この書籍を購入して一応葛城の箇所だけは読み込んだ。

衝撃的な問題提起が理解できた。

これは2022年時点での最新情報だ。
 

 

 

 


外舷21号、外舷22号という帝國海軍が戦時中期から末期にかけて大型艦船に使用した指定迷彩色である。

大変なじみのあるこの緑迷彩塗装色だが、実は南方戦線の海域を想定した迷彩塗装だった様だ。トラック泊地などでの有用性は現地でも確認されている。

つまり1943~1944年初頭にかけて研究された迷彩塗装だ。


しかし先日徹底的に調べた天一号作戦時の駆逐艦涼月(すずずき)の色が、ネイビーブルーとニアリーな青系の迷彩塗装であったことがほぼ確定と見ているのは触れた通りだ。個人的にはランバ・ラルのグフカラーと表現しておこう。

恐らく冬月(ふゆつき)も同じ青系の迷彩塗装だった(グフカラー)であろう。

その答えに資する記述を見つけた。

戦争末期(1944~1945年)になってくると、日本近海に戦域が遷移してきたことの重要性を鑑み、近海用の対潜迷彩塗装が研究された、と。

一方で戦線を押し込まれてきた末期に差し掛かり、近海の迷彩塗装には、コントラストの強い青系での塗装が有効であったことが明記されている。

であれば、どの艦艇にその青系の迷彩塗装が施されたのか、これをセクションパワー全開で調べた。

結論。






記録は無かった。





でもピンときた。


迷彩塗装もお馴染み側面対潜迷彩の模様(輸送船の様なもの)が一般的な理解で外舷21、22号(所謂ザクカラー)で想起される。

だが、涼月も冬月もそうであったように。

雲龍型航空母艦の生駒、阿蘇、笠置。

あれらの艦船の色。

カラー映像では間違えなく薄い青系色に見える。
緑系の体色は黄色になっていく為、その真逆の青になっていく、ということは無く、青系の塗装は明らかだ。


それに笠置は島嶼迷彩まで。
幼稚園の壁に卒園記念のペンキ画をよく見かけるが、あんな感じの舷側島嶼迷彩。

コントラストの強いブルー系の迷彩だ。

こんな感じだった。
・生駒 青灰色
・阿蘇 青系
・笠置 青系強い島嶼迷彩

研究者の間では、それでも
・コダクローム系の青強調
・現像偏差
・錆と艶消失
には要注意と警鐘を鳴らす。

それらを差し引いても、4番艦以降の雲龍型は水色系の迷彩塗装であった可能性が高いそうだ。

米軍記録では、Sea blue、Ocean grayと記録されている公文書が残っている。
(出典:shipcamouflage.com:IJN camouflage measures -US Navy WWII)

わざわざBlueとしているので、単なる青味のあるグレーや誤記で片付けることはできない。

US Naval Technical Mission to Japan や Technical Air Intelligence Unit でも帝國海軍の青系迷彩が取り上げられている。

信号機の色の表現のこともあるから断定はできないけど、少なくとも笠置、生駒、阿蘇は青系の迷彩塗装の可能性が高い。



そして葛城の色になるのだが、明らかにコントラストが強いことは白黒写真でも明らか。

 

ただカラー写真などは残っていないので、呉接収以降(1945年10月以降)の米軍調査資料に頼らざるを得ない。

それらを紐解いていくと、航空甲板の対空迷彩も、通常デッキタンの部分のコントラストは弱めで周囲の濃い部分色と馴染んでいる記録写真、記録映像が残る。

でも2番艦天城は、明らかに外舷21号、22号だ。
つまり緑系の迷彩。いわゆるザクカラーである。

3番艦葛城では天城と異なりもっとコントラストが強い薄い色を使っている様子が窺える。

濃い部分を含め、緑とも青ともどころかグレーにさえ見える舷側の不鮮明なカラー映像。

一方、末期では対潜迷彩より、対空迷彩へ思想が寄っていったのではないかと考えることもできる。

いや寧ろその方が自然ではないだろうか。

敢えて面倒で手間のかかる効果不明瞭な緑系迷彩を葛城に施すだろうか。だからこそ同じ場所で生まれた天城と葛城姉妹であっても、異なる迷彩を施したのであれば絶対考えている筈だ。

海面同化、または海面上誤認識や上空視認低減(航空偵察対策)に寄せたのではないか。


でも手間暇かけて一程度のカラーフィルムの感光状態を計算して現像補正等を鑑みた色を出すのも自分でできれば話は別だが他人にお願いするのは気が引ける。

だからあくまで個人で出した推論。

結論から言うと、葛城の舷側色は、グフカラーならぬ、よりコントラストの強いグフカスタムカラーの可能性を排除できないということ。

最近の葛城研究でも青系迷彩説はどんどんと有力視されてきている。

艦船考証派のYoutuberである深山氏(宮間めさの氏)も葛城の青系迷彩に触れているようだ。

何でいつもこんな誰もやったことの無い再現に行き着いてしまうのだろう。

冬月で定説のカッター撤去の嘘をご提供いただいた天一号作戦対空戦闘時の写真で否定し、初霜では直前までの甲板張替え工事という重大修復を行っていた都合上リノリウム貼付がなされていないことが判ったり、涼月でも前述の通り青系迷彩だけでなく前甲板にはリノリウムが貼られていなかったり、剥がれていたりと未だ誰もやったことの無い再現をして
来た。

そして雪風では無視できない大きさの電子戦機器の位置が特定でき、艦尾対潜兵器が従来の解釈と異なる1次資料を発見してしまい、手が止まる。
 

雪風の最終時は従来のイメージと異なり、全体的にガラッと変わってしまった。特に艦橋の異様さはまるで般若の様だ。

今迄の資料と呼ばれるものがいかに社会的な忖度や大人の事情で真実を記載できないことも学んだ。

 

定説を全く信用できないことも理解した。



定説であっても嘘はダメだ。



葛城の復員船時代は船体補修の際に塗装のし直しが記録されてしまっており、余りの塗料を雑多に塗られたであろうことから、元々の迷彩の確認に資する確実な情報は得られないだろう。

葛城の最終時の色。

これだけを見ても、当時の人々の想い、そして絶望、そして生存への執着。

これらがどう帰結していったのか。
その足跡を追わねばならない。



では。
お休みなさい😴💤

 

 

艦橋頂部の特殊形状な13号対空レーダー。

プラ材での自作には限界がある。中心棒並みの細さでこの情報量を収めなければ、大嘘だ(笑)

 

駄目だ。

全くダメだ。

オーバースケールどころではない。

 

寧ろただの棒状だけでいいかも知れない。

この部分につく形状のエッチングパーツはこの世に存在しない。

 

 

 

Operations research
艦橋部品の整形:
・基部の部品前張り出し甲板の整形✔
・電探室階のキャットウォークの再現✔
・後部主檣旗流甲板の謎の張り出しを切除✔
・羅針盤階の構造物より基部の幅を詰める✔
・羅針盤艦橋の後部露天部分における分厚いブルワークを切除✔
・醜い窓モールドを切除してエッチングパーツに取り換え✔
・羅針盤階の構造物を、下階構造物よりも前方へ張り出す様加工✔
・部品をカットして張り出し甲板に突き出る構造物を再現✔
・2k信号灯基部と2k信号灯の取り付け✔
・手すりはエッチングパーツ✔
・30㎝赤外線探照灯基部の取り付け✔
・アイランド基部の増補✔
・葛城にしか見られない特殊形状な基部と対空13号レーダーの自作✔
・22号水上レーダーの基部と本体の取り付け✔
・メインマストのトラス構造の自作
・メインマストへ対空13号レーダー取り付け
・25mm単装機銃の取り付け

射撃指揮装置スポンソンと水面見張り所の作成:
・甲板からの張り出し部分を拡張した上に載せる✔
・スポンソンで支えるようになっているので自作✔
・舷側キャットウォークの自作✔
・ボートデッキの自作✔
・一部のスポンソン支柱基部、支柱の自作✔
・電子戦用赤外線通信機、二式哨信儀全受器の自作と取り付け
・セットな二式哨信儀の発哨器はどこについていたのか確証が無い
・80㎝探照灯の取り付け
・25mm単装機銃の取り付け

羅針盤艦橋階、及び露天艦橋階のブルワークの作成:
・高さは均一化する為に、プラストライプを使用✔
・問題は遮風板 >必殺プラ板切り出し合わせ技工作✔

羅針盤艦橋構造物前面の水密扉、側面における水密扉:
・エッチングパーツ使用

船首形状の修正
・艦首機銃台座支柱の自作✔
・射撃式装置台自作と射撃式装置の取り付け✔
・菊花紋章取り付け版の自作
・フェアリーダ大の自作

艦尾スターンデッキの形状修正
・フラット維持の支柱調整✔
・艦尾上甲板と格納甲板延長部、飛行甲板の支柱自作✔
・フェアリーダ大の自作

 



蛇足:葛城物語

◎葛城について、実際の記録に残る証言:
出典:厚生労働省復員局「復員事業概要」
「南方からの将兵は、母国の艦影(葛城)を見て涙する者多し。」
「軍艦(葛城)が迎えに来るとは思わなかった。」 
「上陸前に白い粉(DDT)を全身に振りかけられた。」
「荷物がびしょ濡れになるほど噴霧された。」
「南方へ送られる時にはそんな配慮は無かったのに、と複雑な気持ちになった。」
「自分たちは汚れているのかと思った。」
「帰ってきたら家族が誰もいなかった。」(独混第38旅団復員兵)
「家は跡形もなく、どこにあったかも判らなかった。」(独混第38旅団復員兵)
「帰れた喜びと、失った現実の落差で涙が止まらなかった。」(独混第38旅団復員兵)
「生き残った自分を責めた。」(独混第38旅団復員兵)
「あいつにも日本の土を踏ませてやりたかった。」(独混第38旅団復員兵)
「自分だけ帰って来て申し訳ない。」(独混第38旅団復員兵)
「死んだ仲間の顔が浮かんで眠れなかった。」(独混第38旅団復員兵)
「帰って来たが、心は南方に置いてきたままであった。」(独混第38旅団復員兵)
「(葛城の)船内は静かだった。」
「皆、還れる喜びと不安が入り混じっていた。」
「南方の死線を潜り抜けた者同士、言葉少なに寄り添っていた。」
「甲板に出て、海を眺める者が多かった。」
「故郷に近づくほど、誰もが無口になった。」

◎葛城で帰還した漢達の慟哭物語
旧帝國陸軍第5師団は旧廣嶋で徴兵された兵士を中心に構成された部隊が数多く含まれる。

特に、独立混成第38旅団は、昭和19年廣嶋市内(宇品)で編成され、南太平洋のブーゲンビル島や、ファウロ島などへ派遣され、この地域で終戦を迎えている。

独混38旅団の陸軍兵たちは、帝國海軍第82、87警備隊などの生き残りと共に、第1陣として、航空母艦「葛城」で帰還することになる。(※厚生労働省、アジ歴公開資料より)

待ちに待った本土への帰還。

南方から帰還する第5師団の兵士たちは、自分たちを迎えに来た航空母艦「葛城」を見て泣いた。

これで廣嶋に還ることができる。
皆泣いた。

エンジン音を轟かせ、近づいて来る巨大な葛城の艦影を見て、おーい、おーい!と心の中で手を振った者も多かったであろう。

葛城を見て、ようやく還る実感が湧いてきた者も多かったはずだ。

葛城に乗船する際、訳も説明されずにマスクが配布される。
南方に送られてくる時にそんな配慮は無かった。

決死の覚悟、生きて日本へ戻ることの無い覚悟をして南方へ来た。

こうして日本へ、廣嶋へ還ることができることは表情には出さないものの、誰もが内心喜んだ。
葛城は、現地を1946年1月26日に出港して内地を目指した。

長い船旅ではあったが、故郷日本の山野が目に入ると、誰もが無口になった。

葛城は広島県大竹市沖(宮島西沖)に辿り着き、彼らは輸送艇に乗って、日本の土を踏んだ。
感慨深かった。

 

ついに還って来ることができた。



叶わぬ願いではあるが、あいつにも日本の土を踏ませてやりたかった。



そう想うと泣けてきたが、嬉しさも同時の表現し難い感情が奥底からこみあげてくる。
自然と無口になった。

検疫を受けた。

集合場所では、荷物がびしょ濡れになる程の消毒液を撒かれた。
葛城を出る時は白い粉(DDT:発癌性物質)を全身に浴びせられたのに。

俺たちは汚物なのだろうか。
違和感があった。

でも自由になった。

これで家に還ることが出来る。

父と母、妻やまだ見ぬ子どもたちと一刻も早く会いたい。
事前に連絡することは出来なかったのだから、急な還りで驚くだろう。
喜んでもらえるだろう。


きっと驚くに違いない。

どんな表情で出迎えてくれるだろう。

どんな言葉を掛けたらいい?

期待は膨らむ。





しかし・・・


廣嶋市内に近づくにつれ、受け入れがたい現実が目の中に否応なく飛び込んでくる。

一面の真っ黒な焼け野原。

 廣嶋駅に降り立ち、自宅のあったところに徒歩で向かった。
跡形もない自宅。

自宅?

ここが?


残留放射能に怯えるまばらな人々。



数日間探しても行方不明の両親・家族たち。

折角踏んだ本土の土は、放射能に汚染され、家族は消え、住む家をもそこには無かった。




 もう涙も枯れて一滴も残っていない。

私は明日から何をすればよいのだろうか。





絶望しかなかった。
 

 

 

 

 

傷つけば 傷つくほど 優しくなれた (戦場で傷ついた身体や心があるから優しくなれた) 
貧しさは 大きな 力になり (敗戦により突き落とされた貧しさは、大きな成長のバネになった) 
意気地のなさは 勇気に変わる (戦場で突撃する時の意気地の無さは、勇気に変えることが出来た) 
ひねた瞳は 真実を欲しがる (戦場でひねてしまった瞳は、真実の自分を欲している) 

真実は とてつもなく 激しかった (戦争は、とてつもなく激しかった) 
愛せば 愛すほど 苦しくなる (愛する家族を想えば想うほど戦場では苦しかった) 
はかなさが 美しいから (はかなく散っていく仲間は、時に羨ましくも見えた) 
死にたくても また歩いた (自分も死に場所を探したくなったが、前を向いて歩き始めた) 

俺はいま 真夜中の湾岸を とばしている 
カーラジオ 消して 受話器を耳にかたむける 
進路は 東へとお前の 声を聞きながら走る 
とうとう昭和の歴史が 終わった 

悲しめば 悲しむほど 想いやれた (仲間の死は、想い遣ることの原点だ) 
悔しさは 大きな 力になり (敗戦の悔しさ、生き残った悔しさは、日本に巨大な力をもたらした) 
力はいつしか 詩になる (その力は奇跡の戦後復興と共に、詩になった) 
許せないのは 自分となる (許せないのは、生き残った自分だけになった) 

俺はいま 受話器を 静かに置いた 
あゝ吹きすさぶ 強く 冷たい風に抱かれたい 
夜明け前の 街が確かに 動き始めてる 
とうとう昭和の歴史が 終わった 

夜明け前の 街が確かに 動き始めてる 
とうとう昭和の歴史が 終わった


長渕 剛 - 「昭和」