完全に模型製作のモチベーションが地に堕ちているのだが。
手を動かせても日曜の22時以降が今の所唯一。

正直疲れもなかなか取れない、というのが最たる理由だと思っているが果たして。

そもそも葛城を作り始めた理由は明確ではないが、影響した話があった。

それは・・・


あまり不確かなことを語ることはできないが、つい最近、大臣や海幕関係の話の中に既に出ている話がある。

怒られたら消すので、この記事に辿り着けた方は気のせいだったと思っていただければ幸いだ。



川崎重工業は空母からの艦載機射出に使う電磁式カタパルトへ転用できる、大容量ニッケル水素2次電池「ギガセル」の展示パネルを出展してPRしている。

ニッケル水素2次電池は電解液が水溶液であるため、リチウムイオン2次電池のように有機溶媒を使う電池に比べて火災などの危険が少ない点が空母に向いているとされ、川崎重工業は「電磁式カタパルトの電源として、大電力の放電が可能な特徴を生かせる」「被弾時などに火災が広がらないようコントロールしやすい」としている。

これは大変有効だ。

展示パネルには、海上自衛隊のヘリコプター搭載護衛艦の全通飛行甲板に設置された電磁式カタパルトを用いてF-35C戦闘機が発艦しているイメージCGが描かれていた。
 

ほか、「DSEI Japan 2023」ではゼネラル・アトミックス・エアロノーティカルシステムズ(GA-ASI)が、アメリカ海軍に採用された実績のある電磁式カタパルトシステム(EMALS)と先進型アレスティング・ギア(AAG)の模型などを展示してアピールしていた。

ここまではwikipedia程度の解説にも出ている。


この電磁カタパルトを装備した次期護衛艦(大型揚陸艦(全通航空甲板付))が隠語で「かつらぎ」とされる場合がどうやらあるようだ。

森本敏元防衛大臣は、中国が4隻目の空母を日本の南方海域で運用する前に、DDHの代わりにF-35BやV-22を洋上で運用できる大型揚陸艦(航空甲板付き)が必要だとしている。

「かつらぎ」

「イオージマ」や「ワスプ」の様な姿ではなく、更に巨大な艦であり、見たことの無いような艦容になるだろう。

あまり語ると怒られそうなので、ここまでにしておくが、かなりドローンの運用を意識したものになってくる筈。

進次郎の腕次第。
 

「かつらぎ」か・・・

 

大戦時にも先代艦があったな。

 

多分これが葛城製作を始めた原点なんだろう。



航空母艦「葛城」。

搭載航空機の暫定定数を見てみよう。

戦闘機: 零式艦上戦闘機(定数18機+補用3機)
爆撃機: 彗星艦上爆撃機(定数27機)
攻撃機: 天山艦上攻撃機(定数9機)
合計: 54機

しかし、既に新型の大型航空機の運用も視野に入れた定数も考えられていた。

烈風(戦闘機): 約15機程度
流星(艦上攻撃/爆撃機): 約20〜25機程度
彩雲(艦上偵察機): 2〜3機程度

彩雲は、今実機のレストアが山梨県で進められており、毎年のように私もレポートさせていただいている通りであるが、プロペラ推進の飛行機での我が国史上最高速度記録を持っている、即ちタイトルホルダーであり、今現在(2026年)もこの記録は破られていない。

「我ニ追イツク敵機ナシ」

はあまりにも有名な無線電信である。
これは世界史で俯瞰しても武器無しのP-51Dの最高記録速度と遜色なく、オクタン価130のハイオクガソリンで、何と694.5km/hという記録を叩き出し、調査したアメリカを大変驚かせた世界最高速のレシプロ機でもあった。



そんな彩雲を搭載予定であった「葛城」ではあるが、公海試験運転において駆逐艦の主機でありながらも34knotという高スペックを叩き出した。

しかし、航空機の発着艦試験が行われた形跡は見つからなかった。



長い前置きを言い訳とするのだが、本題だ。

航空機が載っている姿は「葛城」の実態としては沿わない。
つまり嘘になるのだ。

だから艦体のみを再現すれば良い。と思う。

作るモチベーションは無いが、還って来た漢達の無念、絶望を知ってしまったからには、形にしなければならない。

そう、これは課された義務なのだ。
そうなってくると苦しいね。




 

 

◎葛城

 

旧帝國陸軍第5師団は旧廣嶋で徴兵された兵士を中心に構成された部隊が数多く含まれる。

特に、独立混成第38旅団は、昭和19年廣嶋市内(宇品)で編成され、南太平洋のブーゲンビル島や、ファウロ島などへ派遣され、この地域で終戦を迎えている。

独混38旅団の陸軍兵たちは、帝國海軍第82、87警備隊などの生き残りと共に、第1陣として、航空母艦「葛城」で帰還することになる。(※厚生労働省、アジ歴公開資料より)

待ちに待った本土への帰還。

南方から帰還する第5師団の兵士たちは、自分たちを迎えに来た航空母艦「葛城」を見て泣いた。

これで廣嶋に還ることができる。
皆泣いた。

エンジン音を轟かせ、近づいて来る巨大な葛城の艦影を見て、おーい、おーい!と心の中で手を振った者も多かったであろう。

葛城を見て、ようやく還る実感が湧いてきた者も多かったはずだ。

葛城に乗船する際、訳も説明されずにマスクが配布される。
南方に送られてくる時にそんな配慮は無かった。

決死の覚悟、生きて日本へ戻ることの無い覚悟をして南方へ来た。

こうして日本へ、廣嶋へ還ることができることは表情には出さないものの、誰もが内心喜んだ。
葛城は、現地を1946年1月26日に出港して内地を目指した。

長い船旅ではあったが、故郷日本の山野が目に入ると、誰もが無口になった。

葛城は広島県大竹市沖(宮島西沖)に辿り着き、彼らは輸送艇に乗って、日本の土を踏んだ。
感慨深かった。

 

ついに還って来ることができた。



叶わぬ願いではあるが、あいつにも日本の土を踏ませてやりたかった。



そう想うと泣けてきたが、嬉しさも同時の表現し難い感情が奥底からこみあげてくる。
自然と無口になった。

検疫を受けた。

集合場所では、荷物がびしょ濡れになる程の消毒液を撒かれた。
葛城を出る時は白い粉(DDT:発癌性物質)を全身に浴びせられたのに。

俺たちは汚物なのだろうか。
違和感があった。

でも自由になった。

これで家に還ることが出来る。

父と母、妻やまだ見ぬ子どもたちと一刻も早く会いたい。
事前に連絡することは出来なかったのだから、急な還りで驚くだろう。
喜んでもらえるだろう。


きっと驚くに違いない。

どんな表情で出迎えてくれるだろう。

どんな言葉を掛けたらいい?

期待は膨らむ。





しかし・・・


廣嶋市内に近づくにつれ、受け入れがたい現実が目の中に否応なく飛び込んでくる。

一面の真っ黒な焼け野原。

 廣嶋駅に降り立ち、自宅のあったところに徒歩で向かった。
跡形もない自宅。

自宅?

ここが?


残留放射能に怯えるまばらな人々。



数日間探しても行方不明の両親・家族たち。

折角踏んだ本土の土は、放射能に汚染され、家族は消え、住む家をもそこには無かった。




 もう涙も枯れて一滴も残っていない。

私は明日から何をすればよいのだろうか。





絶望しかなかった。
 

 

 

 

 

傷つけば 傷つくほど 優しくなれた (戦場で傷ついた身体や心があるから優しくなれた) 
貧しさは 大きな 力になり (敗戦により突き落とされた貧しさは、大きな成長のバネになった) 
意気地のなさは 勇気に変わる (戦場で突撃する時の意気地の無さは、勇気に変えることが出来た) 
ひねた瞳は 真実を欲しがる (戦場でひねてしまった瞳は、真実の自分を欲している) 

真実は とてつもなく 激しかった (戦争は、とてつもなく激しかった) 
愛せば 愛すほど 苦しくなる (愛する家族を想えば想うほど戦場では苦しかった) 
はかなさが 美しいから (はかなく散っていく仲間は、時に羨ましくも見えた) 
死にたくても また歩いた (自分も死に場所を探したくなったが、前を向いて歩き始めた) 

俺はいま 真夜中の湾岸を とばしている 
カーラジオ 消して 受話器を耳にかたむける 
進路は 東へとお前の 声を聞きながら走る 
とうとう昭和の歴史が 終わった 

悲しめば 悲しむほど 想いやれた (仲間の死は、想い遣ることの原点だ) 
悔しさは 大きな 力になり (敗戦の悔しさ、生き残った悔しさは、日本に巨大な力をもたらした) 
力はいつしか 詩になる (その力は奇跡の戦後復興と共に、詩になった) 
許せないのは 自分となる (許せないのは、生き残った自分だけになった) 

俺はいま 受話器を 静かに置いた 
あゝ吹きすさぶ 強く 冷たい風に抱かれたい 
夜明け前の 街が確かに 動き始めてる 
とうとう昭和の歴史が 終わった 

夜明け前の 街が確かに 動き始めてる 
とうとう昭和の歴史が 終わった


長渕 剛 - 「昭和」