Panzer-Abteilung Müncheberg
SS-Panzer-Abteilung 503 Panzer Kampfwargen 6
ミュンヘベルク装甲師団
第503SS装甲大隊 第3中隊 第1小隊 4号車
ケーニヒス・ティーガー ゲオルグ・ディアーズ伍長乗車車輛
月姫さんに捧ぐ
ティーガー祭:
このfestは、めぐみさんの機会提供によりお送りいたします。
1945年ベルリン攻防戦において、ボリシェビキ赤軍の迫りくる戦車を相手に無双した最後のティーガーをモチーフに、『The last Tiger』と題して作りたいと思います。
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模活が出来ない時は、資料編で頑張ります。
1945年ベルリン攻防戦。
ここで起こった事実。
それを、自らの危険を顧みずに記録した人たちがいたお陰で、私たちはその一端を垣間見ることが出来ます。
戦場カメラマン。
彼らが見た光景を、公開されている写真で辿ってみます。
【その1】
その1 に続き、ついにその2『ベルリン市街戦編』に焦点を移してみます。
まずは、ベルリン上空からの空撮。
ロイヤルアーミーによるベルリンの空撮(1945年7月)です。
カラーフィルムの貴重な映像のキャプションです。
真ん中にティアガルテン広場の広大な森を持ってきました。
ディアーズ伍長のラスト・タイガーは、ティアガルテン広場の中心から、ライヒスタークへ進出し、ディアーズ伍長は降車してアドルフ・ヒトラーの遺体の焼却をした後、右に写るシュプレー川を越えた赤軍が占領したクロールオペラハウスに向かって反転攻勢に僅か1輌で張り出します。
その様子がとても良く解る写真です。
そして、撤退命令を受けて、ライヒスターク側へ引いて、ブランデンブルク門を右下(北東)へ向けて市民の先頭にたって移動し始める、まさにラスト・タイガーの最後の活躍の舞台がこの1枚に収められています。
史実通りの事を示す、シュプレー川の水を溢れさせて洪水を引き起こした痕跡が、この写真にきちんと写っています。
そして同じくロイヤルアーミー撮影によるクロール・オペラ・ハウス(1945年7月)。
私のビネットは、この建物の右側の方の部分の一角を再現しています。建物の形状は判りますが、路面が判らない所以をご理解いただけると思います。瓦礫はほとんど撤去されているようです。
ではベルリン市街戦のご紹介です。
ベルリン市街への突入は、郊外に設置された大砲(何だか勉強不足で判りませんが口径が巨大です)の砲撃を合図に始まりました。
ベルリン市内には次々と着弾して建物が崩れていきます。
右往左往する新米青年ドイツ兵。
PAK40から離れてしまって退避しているところでしょうか。
ヴァイトリング大将が指揮権を得てからドイツ兵の再編成が行われた時の写真かも知れません。
ドイツ兵と言っても、SSや国防軍はほとんど見られません。事実上民兵ですね。
ベルリン市街戦は、このような民兵が主力だったと考えられます。
戦死者も多く、あまりのむごい光景に、武装親衛隊のモーンケ少将は、ヒトラーへ市民退避の命令を請うたくらいです。却下されましたが。
空襲により建物を大きく破壊されているベルリンは、瓦礫が道路の左右へ積み上げられてドイツ軍の車輛行き来が担保されていました。このような状態のベルリン市街に赤軍が突入してきます。
2018年に完成した赤軍の詳細な動向とドイツ軍の詳細な動向を示した地図も所有しておりますが、残念ながら、こちらは権利処理が未だ出来ない為に公的な公開を目途とした貼り付けができません。
ドイツ支配地域から赤軍が迫る方角を撮影したと思われる1枚。砲撃による砂埃が舞っています。
第9軍がどこにいるのか、で有名な際の砲撃が止んだつかの間の外での撮影。
もう最期の時が来たことを周囲の諸将は悟っていることでしょう。
脱出を禁じられた市民。とされますが、どうみても手前の2名の助成はゲルマン系の顔立ちではありません。
ブロンド+青目=ゲルマン(ジャーマン)系(ドイツ他)
ブロンド+緑目=ロシア・ウクライナ系(ソビエト)
茶毛+茶目=ノルマン系(イングランド他)
黒目+黒目=ラテン系(イタリア・フランス・スペイン・ポルトガル他)
黒目+黒目+蒙古斑=ウラル・アルタイ系(フィンランド・モンゴル・日本)
という血統的区別があるので、ラテン系の女性、砂即ちフランス系の女性?
避難する子どもたち。親はどこへ行ったのでしょう。
何時の時代も戦争で痛ましい子どもの犠牲があります。
地下鉄の駅へ避難していく市民の列。鉄兜被っている人もいます。
結構有名な残った水を舐める老人。
隠れている壕から見るベルリン市街。
街灯の形や、市内の色が見て取れます。
最期を迎える総統府。
続々と進撃する200万の赤軍軍勢。
ちなみに中心左に見える銃を構えて走る兵士の左肩に係っているズタ袋は、第1次世界大戦時の旧ロシア帝国時代からの兵装です。
赤軍の装備は驚くほど貧弱で犠牲がとてつもなく多く出てしまいました。
総統府の中庭に志願兵として集められた12~13歳の少年。
つまり、ヒトラー・ユーゲントの出撃になります。
一人ずつ、ヒトラーに激励されていくヒトラー・ユーゲントの少年たち。
有名な写真です。
確か子どものほっぺを叩いて、耳を摘まんだという話が伝わっているとことだと思います。
塹壕の中で迫撃砲と砲弾を準備する・・・・国防軍❓
侵軍する赤軍兵士。
塹壕に着弾し、残されたパンツァー・ファウストとヘルメットだけが残された様子。
赤軍の小さな戦車。自走砲。何という自走砲?
T34/85とタンクデサントの基本セット。
左下にドイツ軍の地雷が見えます。ルパシカ戦闘服は赤軍。
斃れても次から次へと湧いて出てくる赤軍兵士は、まるでドイツ側からしたらシューティングゲームの様に次から次へと湧いて出てくるザコキャラの様に感じられたことでしょう。
嫌なシーン。
日本人にとってドイツ軍贔屓の方が多いのは仕方ないところですが、綱紀粛正の名の下に多くの無実の市民が殺害されました。少なくとも日本軍ではこのように市民へ銃を向けることはありませんでした。
以前記事で314号車として紹介してしまった車輛ですが、その後誤りで、101号車であることが判明いたしました。この場をお借りして訂正いたします。
この車輛もラストプロダクトの1つで2色迷彩が良く判ります。
1945年5月1日。
「ライヒスタークの赤い旗」として有名なシーンを演出する為に赤旗を持って突入する赤軍兵士。
1945年5月2日。
ディアーズ伍長のラスト・タイガー。
自爆処理後、最も古い写真。履帯は修理が完了しており、繋げれば自走が可能であることを示しているそうです。防盾と右前部角に被弾痕を見ることが出来ます。
『俺たちの戦争は終わった・・・私にとって重要なのは、君たちが家路に着いて帰宅することだ。』
と言って修理することを許さなかった某将校の言葉を泣きながら腕で涙を拭い、地雷で自爆処理を施し、ディアーズ伍長は314号車を離れました。
1945年5月下旬。敗戦の下に訪れた平和。ライヒスターク前に捨てられたアハトアハトで遊ぶ生き残った子どもたち。
311号車の話はまた後日。この311号車とディアーズ伍長の314号車で僅か3週間で撃破した赤軍戦車の数は、ドイツ軍のどの戦車乗りエースよりも多いものとなります。
ラスト・タイガー311は、最終プロダクトではないので3色迷彩になりますが、点々の模様はありません。また、タレット番号も描かれていたようです。
一方で314号車は、ラストプロダクトで緑色ベース。タレット番号もありません。
こちらは、タコム社の作例による314号車。
迷彩の模様は残念ながら、緑とダークイエローは逆です。リサーチが惜しいところです。
それに転輪に迷彩は確認できないのですが・・・
こちらもラスト・タイガーの内の1つ、231号車。311号車と同じく3色迷彩で点々無し。
この時期の塗装は光と影やリングは無かったと写真や作例から判断しています。この231号車にはタレットに布がかぶされた鮮明な写真がBERLIN1945に掲載されています。左側の牽引フックが外れているなど流石鮮明な写真んが残っているだけあってリサーチがしっかりとした作例です。
314号車の塗装に最も近いメーカー作例。タイガーではありません(E75)が。
赤外線センサーもタレットの両脇に取り付けられています。
ご覧になられた皆さんが、少しは先の大戦を考えるきっかけになれば、と思います。
では。
お休みなさい😴💤
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